第55章 その手をもう一度
(信長目線)
スース―と静かな寝息が聞こえる。
相変わらず無防備に、深く眠ったようだ。
舞を夜な夜な天守に呼び出し、温めてやった記憶はまだ新しい。
この俺を布団代わりにして安心して眠る女など、こやつくらいだろう。
(濃でさえ俺が一緒では緊張すると言っていたというのに…)
妻でもない女が腕の中で呑気に寝息をたてている。
おかしくてたまらない。
左腕にのる頭の重み、身体に伝わってくる低めの体温。どれもあの頃と変わらない。
右手で着物と外套を掛けなおしてやる。
信長「……」
俺の腕に容易に閉じ込められる小さな身体でありながら、業火の中では逃げ道を切り開き、力強く手を伸ばしてきた。
普段の呆けた態度からは想像もつかないが、内には生き抜こうとする強さがある。
そして誰に対しても手を差し伸べる優しさも……
『信長様っ!!一緒に行きましょう!』
業火に包まれ、全てが橙に染まったあの部屋で手を握られた。
強い意志をもった目が、俺の中で燻っていた恋情を大きく煽った。
命が助かる以前に目の前の女が欲しい、そう思った。
信長「………」
だが舞の心は軍神にある。
会いたいと涙する姿を見て手籠めにするほど落ちていない。
以前より艶っぽくなったのは、軍神と想い合い、愛でられたからであろう。
起こさない程度に舞の身体を抱く。
手探りで舞の手を探し出し、冷たい手を握った。
(この手をもう一度とる日がこようとはな…)
天下統一を進めたここ数年。
無情な行いや激しい戦は何度もあった。冷えた心が凍らなかったのは胸のうちに灯っていた淡い炎のおかげ。
穏やかだったはずの炎は今や油を注いだように熱く燃えている。
いずれ鎮火させなければいけないだろうが、この女が俺の腕の中にいる間は、
気づかれぬよう燃やし続けても構(かま)うまい。
(他の男のものだとしても、子がいようとも、困っているというのであれば身体を温めてやるくらいは許されるだろう)
永遠に失ったと思った舞の温もりが腕の中にある。
目を閉じると花のような香りがして、俺の意識は静かに沈んでいった。