第28章 秀吉さんがくれたハンカチ
(姫目線)
「仕事、終わっちゃった…」
朝の出来事のせいで一日中気分が重かった。
家に帰りづらくて仕事が終わらなければいいとさえ思うほど…。
そういう日に限って時計の針が進むのは早く、あっという間に退社の時間を迎えた。
会社のエントランスを出るとムッとした熱気に包まれた。
8月になってもまだまだ日差しは強く、駐車場に向かうちょっとした時間でも汗が噴き出してくる。
暑気にあてられ、憂鬱な気分が増す。
「なんで誤解されたんだろう。訳を聞きたくてもあんなに逆上してたら聞けないよ。
きっと二人が謙信様の子だって言っても信じてくれない…」
謙信様と瓜二つのたつきに会わせれば…と思うけど、朝の状態では子供達と引き合わせるという雰囲気じゃない。
朝、車の中で『ママが叩かれた』とゆりは泣いていたし、
何も見ていないたつきは『部屋にお泊りしているのは誰?』なんてキョトンとしていたけど、ゆりの様子を見て少し不安を持っているようだった。
そんな二人に、怒気をまとった謙信様を会わせることはできない。
「はぁ」
ナイフのように鋭い視線、発せられる殺気を思い出して身震いした。
まるで憎い敵にでも会ったかのようだった。
ずっと想っていた人にそんな風に見られ、悲しみだけが募る。
何故かわからないけれど謙信様の信頼を無くし、出会わなければ良かったとまで言われてしまった。
「出会わなければ良かった、か………」
(あの声と眼差し…)
胸がヒリヒリと痛んだ。
「そんなふうに思われるなんて……」
(出会いそのものを否定されるなんて悲しい…な)
お互い想い合っていたはずなのに、互いの間に深い溝が横たわり、どうしたら埋められるのかわからなかった。
歩み寄りたいのに…。
無理に歩み寄ったら最後、足を踏み外して溝に落ちてしまいそうだ。
「謙信様…」
愛しい人の名を呼ぶ。
こんなに近くに居るのに。
時を超える奇跡を起こして近くに来てくれたのに。
謙信様は二度と私の名を呼んでくれない気がした。
時がお互いを隔てていた時よりも、今の方がずっと距離がある。
「あっ!」
ヒールがマンホールの穴に引っかかり体勢が崩れた。
ガクンと視界が揺れ、転倒は免れたもののバッグの中身が派手に散らばった。