第36章 不慣れ
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部屋を出て、少し…かなり遠くを歩く七海に追いつくよう努力する。
「七海ー」
「何ですか」
声をかけても、用がある素振りを見せても、七海は足を止めない。
「千夏のこと」
「…見たままですよ。呪力を凝縮してぶつけ、部屋に穴を多数開けた。あの精神状況で、私が立っていた場所のみ避けるなんて、本当に器用だと思います」
「僕達が来た時は落ち着いてたけど?」
「部屋を破壊してたのは、最初の10分くらいの話。その後は…まぁ、色々と」
七海はメガネをいじって、話を終わらせた。
「色々って。めっちゃ気になるんですけどーー!」
淡々と歩き、突き当たりを右に曲がった。
視線も向けてくれない。
「…隠すと後々面倒なので言いますが」
七海はネクタイを締めた。
「抱きしめて、キスしました」
抱きしめて、キスしました…。
抱きしめて、キスしました…。
抱きしめて、キスしました…。
「何があったの?」
あくまでも普通に。
先輩として尋ねた。
「五条さんも見たと思いますが、震えが止まらないと言って自分の体を傷つけようとしました。私はそれを見張るために呼ばれたのですから、当然止めました。千夏さんの自傷行為は見たくないですし」
七海は背広のボタンをとめた。
「しかし、私は貴方のように存在のみで彼女を宥めることはできません」
「それで、抱きしめてキスをした、と」
「ええ。ただそれだけです。私の独断ですので、彼女を責めるのはお門違い、とだけ言っておきます」
(ただそれだけ、ねぇ)
「…まぁ、他にも方法がありましたが、灰原の話を持ち込まれて、私も少し動揺したと、言い訳させてください」
「言い訳ってことは、悪いことをした自覚はあるんだ」
「仮にも貴方の恋人に手を出した訳ですから、自責の念はありますよ」
七海の無表情がこんなにも恨めしいことは無い。
「じゃあ、最後に”恋人”として質問。そのキスってもちろん、ライトな方だよね?」
「…ご想像にお任せします」
「え、ちょ、七海?」
足を早めてスタコラと歩いていってしまった。
誰もいなくなった廊下で、僕は少し立ち止まった。
「…マジ?」
そう呟いても、返事をしてくれる人はいない。