第35章 むかーしむかしあるところに
「ふぅ、きゅーけー」
すごく普通に。
ごくごく普通に。
八乙女さんはタオルで顔を拭いた。
「あ、恵。なにか飲み物買ってきてよ……おーい、聞いてる?」
俺は何も言わずに部屋を出た。
八乙女さんと一緒にいたくなかった。
小銭を確認しながら移動中にあった自販機に向かうと、その自販機を使用している人がいた。
釘崎だった。
「ったくさ。伊地知さんのとこ行っても、”荷物ってなんすか”状態で。しかも、五条先生もどっか行ったし。何なの、マジ」
どうやら、釘崎は五条先生から飲み物を買ってから八乙女さんのところに向かうように言われたらしく、俺が買う必要はなくなった。
「なぁ釘崎」
「何」
「昔の八乙女さんって、どんな感じだった」
「昔?今とあんま変わんないわよ」
馬鹿でアホでキチガイで。
欲望に忠実で、大人気なくて。
「それと」
釘崎はペットボトルを投げて、キャッチして。
鼻から息を吐いた。
「自分の人生に興味がなさすぎ」
「…なるほど」
「ん。何さ。まさか、好きになったとか言うんじゃないでしょーね」
「それはない。…じゃあ、昔と今で変わった点は?」
「変わった点?そんなん、サ〇ゼのまちがいさがしくらいムズいんだけど」
腕を組んで眉を寄せる釘崎。
「う〜ん。何かに怯えてる感じはなくなってたな。あと、時折泣きそうになってた。あっちは必死に隠してたけどね。あとは……」
「あとは?」
釘崎は虫けらでも見るような顔で俺を見た。
「やめやめ。アイツの話してると頭痛くなる。何でそんなにアイツのこと聞くのさ」
「気まぐれ」
「…アイツだけはやめとけ。ヒスだし、馬鹿だから」
自分の人生に関心のない人。
自分が八乙女さんの立場ならば、八乙女さんのように明るく生きられない。
しかし、人生に関心がないとはどういうことだろう。
死ぬことを考えている…とか。
有り得なくはないが、今まで八乙女さんと過ごしてきて、それだけは違うと思う。
「この部屋だ」
「ここ?なんかキモい雰囲気ね」
後で五条先生に聞くとしようか。
あそこまで話を無理矢理聞かされたんだ。
答えてもらおう。