第28章 初枝さんの思惑
「ねー、まだ怒ってんの?」
「知ーらない!」
高貴な家に、しかも大好きな人の実家に行くにあたって、Tシャツにジーパンなんてラフな格好はできない。
着物を着るのが適当なのかもしれないけれど、衝動買いするようなものでもないから、前から買おうと思っていたスーツを朝一で調達した。
そこでひと悶着があったのだ。
私は頻繁に切るわけではないからと安物のスーツを選んだのだ。
安物と言っても、悟に連れてこられた店なので、通常の倍の値がする。
その横で、悟はどうせ買うならと、それの10倍の値段のものを手に取った。
ふざけるなという私の前で、悟はスーツ以外の装飾品を次々と手に取っては、私の体に当てていく。
結局、押し切られてしまい、10倍とまではいかないものの、予定金額を大幅に上回ったスーツを購入した。
スーツは悟に譲ったのだからと、装飾品の類はすべて却下。
そして、昨夜の話を無視して老舗着物店に行こうとする悟の腕を引っ張って、今に至る。
「着いちゃった…」
「緊張してる?」
私とお揃いにすると言って、着る必要のないスーツを着ている悟が煽るように笑う。
とても。
かっこいい。
「そりゃあ…。正面から入るの初めてだし」
「どこに緊張してんの」
大きく笑う悟に釣られて、私も笑う。
緊張感に包まれた空気が逃げていった。
正面に堂々と構えている門は、小さい頃は身長ゆえに大きく見えていたが、今でも大きく見える。
悟の後ろをついて挙動不審に門をくぐると、懐かしい造りが広がっていた。
「おかえりなさいませ、坊ちゃん」
「ただいま~」
若い仲働きさんが悟に頭を下げている。
自分の彼氏はやっぱりすごい人なのだと実感する。
「そちらの方は…?」
「お初にお目にかかります。八乙女千夏と申します」
踵をずらしつつそろえて、足の先を適度に開く。
背筋を伸ばしてお辞儀。
昨夜急いで得た知識で取り繕う。
「あら~、どうも~」
「初枝さんは?」
「初枝さんでしたら、中に…。八乙女様、どうぞこちらへ」
礼儀のない女とは思われていないようで一安心。
前を歩く二人を見て、ひとり満足げにうなずいた。