第22章 落花流水 前
「結構。ではこれを」
じゃら、と明らかに重そうな音がする黒い巾着袋を袂から取り出し、男が少年へそれを差し出した。小さな両手へ乗せられた巾着の重さが想像以上であった事に驚いたらしく、小さな彼は零れんばかりに目を見開き、男を見上げる。
「こ、こんなに!?」
「ええ、よく使いを果たしてくれた坊やへのご褒美です。ちゃんと大事に仕舞ってお持ちなさい。……心ない汚い大人に、奪われてしまわぬよう」
「うん…ありがとう!お坊様!」
「いえいえ、道中気を付けてお帰りなさい」
少年は巾着を懐に仕舞い込み、それをぎゅっと上から抱き締めるような形で落とさぬよう抱え、頭を下げて走り出した。少年の影が見えなくなるまでその姿を見送っていた男は、片膝をついていた状態から静かに立ち上がる。
「……さて、どうやら俺の目論見は失敗したらしい。大火でも起こし、狐の目を離したところで、我が主へ直接お目通り願おうかと思うたが…なかなか望むままに事は進まぬものよ」
喉奥でくつりと低く笑いを溢した男は、ふと自らの出で立ちを見下ろして緩く首を傾げた。
「しかしあの童(わらべ)、なにゆえ俺が僧だと気付きおったのか」
男の格好は黒い着流しに真紅の帯、黒の斜め掛け袈裟の上へ、肩に羽織る形で真紅の羽織りをかけている、一見すれば到底僧には見えない格好である。まあ実際、僧である事に違いはないし、それ故に少年も心を許したのだから別に問題はないのだが。そこまで思案を巡らせた後、ああ、と男は納得した。
「…これか。形とは、何とも便利なものよ。かくも信頼を得やすく、呑み込み易い」
涼しげな笑みを浮かべた後、先程まで背を預けていた家屋に立てかけてあった状態の錫杖を手に取れば、しゃらんと澄んだ金属音が鼓膜を揺らす。羽織りと着流しの裾を翻し、男は長い黒髪を揺らして歩き出した。しゃらん、しゃらん、と地に錫杖の先を着く度、音が鳴る。
「なに、機会など幾らでも設けられよう。刻は、たっぷりとある故に」
夏の日差しに不似合いな漆黒と真紅をまとった男は、微かに口元へ笑みを浮かべて囁きを落とし、錫杖の音を響かせながら薄い喧騒の中へと姿を投じたのだった。