第20章 私達を掬ぶ真名
情事の痕跡が色濃く残る寝台に横たわった女が身じろぎをした。その隣に腰かけたコブラは女に一瞥をくれるとサイドテーブルに置いてある煙草に手を伸ばす。マッチで火をつけてその煙を深く吸い込んでは吐き出す行為に没頭していると女の声が上がった。
「嫌いだって言ってるのに。」
「…寝てただろうが。」
「匂いで眼が覚めちゃったわ。」
そう言って体を反転させてコブラの方に向き直り、枕に頭を預けたままコブラの逞しい背中に魅入っている。
「足りねェのか?」
「冗談。」
揶揄いを含んだコブラの質問に素っ気なく返して女はしんと黙り込んだ。やがて火を消したコブラが布団を捲って寝台に横になる。一瞬だけ外気に触れたことで女はふるりと身震いした。
「…寒いわ。」
「文句の多い女だ。」
そう言いながらもコブラは向かい合わせになっている女の腰を引いて身を寄せ、その小さな頭を顎の下に来るように固定した。これが彼らの何時もの体勢だった。
女の艶やかに流れる髪に何度も指を通しながら、眠りにつこうとした時、胸元から声がかかった。
「コブラ。」
「何だ。」
「眠れないの。」
そっと持ち上がった女の細い手が、コブラの両頬を挟み込んだ。柔らかいながらもひんやりとした手の感触にコブラの瞼が持ち上がり、蛇のような眼が女を捉えた。女もコブラの両眼を見上げていた。
「貴方が、いなくなってしまいそうで。」
「…近々、ニルヴァーナ計画を始動させる。」
「ニルヴァーナ?」
「ああ。」
女の頭には疑問符が浮かんでいたが、これはコブラが教えられるギリギリだった。女にもそれが伝わったのか、そう、と言ってそれ以上言及することはなかった。
不安げに宙を彷徨った視線を瞼が隠した。目元に影を落とす長い睫が僅かに震えているようで、コブラは居た堪れない気持ちになる。
「リア。」
「うん?」
「俺の本当の名は、エリックだ。」
「え?」
「俺が帰ってくるまで、忘れんじゃねェぞ。」
「分かったわ、エリック。必ず、帰ってね。」
「あァ。」
静かに交わした口付けと確かに愛した男の真名を、女は忘れなかった。