第16章 禁煙
葉巻は、嫌いだ。吐き出される煙を吸い込むと喉を締め付けるような感覚がするし、何より苦い。
―何がって、キスが。
「ラクサス!」
「あァ?」
「今日という日は、引かないからね!」
「何の話だ。」
「葉巻よ、は・ま・き!!」
「葉巻だァ?」
「禁煙しないなら、私はもうキスしないから!」
「…何怒ってんだあいつ。」
何食わぬ顔で紫煙を燻らせる彼に対して言い切ってやった。いくら私が言っても軽くあしらわれるだけで、一向に止めてくれる気配がない。
―嫌いだって言ってるのに。
流石に私がそばに居る時は吸わないけれど、彼の重そうなコートや派手なシャツはいつだって葉巻の苦味を伴った香りがする。
「リア、ラクサスと喧嘩でもしたの?」
「違うわ。愛想が尽きたってとこね。」
「葉巻くらいいいじゃない。」
「ミラはギルドの接客で慣れてるからいいのよ。」
「ふーん、それだけ?」
完璧な美貌でにっこりと笑う彼女。私の愚痴をいつも聞いてくれる彼女のその笑みに私は観念した。
「葉巻よりも吸うものあるじゃない?」
「ですって、ラクサス。」
「ほぉ?」
ふてくされていた目を開けるとカウンターに差した大きな影。壊れた人形みたいに首を回して後ろを振り返る。
「…ミラ、私を売ったの?」
「フフ、1000Jってとこね。」
「安っ!!」
覚えてろ、ミラ!という言葉は最後まで言えなかった。にこにこと手を振る可愛い顔があんなに憎いと思ったことは…あるわ。思えば私は何度も売られてたんだった。
お腹を抱えられたまま連れてこられたのは二階の彼の定位置。卓上にはやっぱり吸いかけの葉巻。
「構ってほしいんなら素直にそう言えよ。」
「…私が苦いの嫌いなの知ってるでしょ。」
「心配すんな、慣らしていってやる。」
有無を言わさず合わされた口はやっぱり苦かった。口内を分厚い舌で余すことなくなぞられて、息も絶え絶えになる。
「…うぇ。苦っが。」
「っは。直に好きになるさ。」
―結局私が彼に合わせるのね。
「ラクサスの方からリアが嫌いなの知ってて遠慮してたって言ったら、面白かったかしら。」
階下のカウンターではミラがぼそりと葉巻を手で弄びながら言った。
この約1年後、私が妊娠したと聞いた彼があっさりと葉巻を辞めることをこの時の私は知らない。