第1章 【氷月】ちゃんとお嫁に来て下さい
扉を持つ手が、震える。それに気付いた桜子が、どうしたの?と心配する。
「……だ」「え?」「……勝負だよ!!僕が君が辞める前に君から1本取れれば、君が僕の言う事を何でも聞く!!」「何それ〜私の願いもないとダメじゃん」あははと軽く彼女は笑って見せた。
「……僕を婿にすればいい」「へ?」
流石に桜子の表情が固まる。「君が今月ずっと勝ったなら、婿養子になるよ」「それだと氷月君の家が……」「別にいい」
ドサッ、と壁に背を預けて床に座り込んだ。
本気だった。どうせ彼女に負け続けてる程度の実力なら、自分が居たところでお荷物だ。
「……いいよ」「…………え」
思わず顔を上げる。ニコニコと楽しそうに笑う桜子が居た。「勝負とか、面白そうじゃん。氷月君が本気なのは分かるし。どっちみち、私の家と氷月君の家、仲が良いから縁談話来るかもだしね」
「……いいの?」「いいよ」
サラッと言ってのける。……自分が負ける筈がない、と思っているのだろうか。それとも、どうせ勝つのは必然、家が勝手に縁談話を進めるだろうし、特段何も変わらないと。そう思ってるのだろうか。
ふんふんいいながら綺麗な所作で素振りして片手間で返事する姿に心底腹が立って仕方がない。
「あ、氷月君のお願いって何?」「……ちゃんとする事、かな」「何それ〜」笑われる。
「氷月君が勝ったら、その『ちゃんとする』ってやつの意味、教えてよね、『ちゃんと』」
そう言って、彼女はニコリと笑った。
ーーそしてその月の末に、彼女は継承者たる講師にも、生徒達にも惜しまれつつ道場を辞めた。軍配はーーーー
「じゃあね、氷月君。すっごいちゃんとしたお婿さんになって待ってるんだよ。いつか」
迎えに行くからねーーーー
彼女ーー桜子は、そう言い残した。