第16章 Sketch6 --水龍
「沙耶(さや)と申します。 いく久しく可愛がってくださいませ」
向こう岸が見えるとも微かな、広大な湖のほとりでわたしは指を着けました。
目の前の龍は黙ってわたしを見下ろしていて、その時間がとても長く思えましたが、逆にもっと長い時をこうしてやり過ごせたら。 そんな思いもありました。
わたしの背丈の二倍ほどもある躰は蒼い鱗に覆われて、裂けそうな大きさの口に常に大きく見開かれた眼という容貌はとても人とは、いえ。……この世のものとも思えません。
頭ではこれが運命と解っていても、やはり恐れはありました。
「沙耶。 そのように震えずともいい。 私がこのような醜い容貌でさぞ恐ろしかろう? 人のそんな反応には慣れている」
思っていたよりも静かな声でした。
まるで今その湖を描いている波紋のように。
「いっ、いいえ。 そのような……」
「お前のその清い体が私やこの同胞たちを更に潤してくれるのならば、私はお前やその一族に生涯の穏やかな暮らしを約束してやろう」
「わたしの前の奥方様は……」
「先日、……とはいってももう10年も前か。 人としての寿命を終え旅立った。 いくら老いても抱きしめられぬ者が居らぬ日々は寂しいものだが、それがことわりなのだから仕方がない」
沙耶、まだ知らぬ私の世界へ来るがよい。 水龍はそう言ってわたしの手を取りました。
感情の分からないその表情は相変わらずでしたが、わたしからは不思議と怖さは無くなっていました。
この方はきっと、この身にも流れるたゆたう水のように、わたしの今は豊かなこの髪が白くなるまで、やさしく大切にしてくれるのでしょう。