第8章 仮初
祝言の日。
仮初の形だけのもの。
それは政略的な要素だけの愛のない形式だけの婚姻。
盛大に行われた婚礼は
菖蒲の夫となった家元、鶴之丞様の冷たい視線によって、どちらにとっても神楽舞踊のための完全な見せかけの形式的なものだと突き付けられたようだった。
婚礼の儀が終わり、二人きりになった部屋で、鶴之丞は菖蒲の着物に手をかけた。
華やかな打掛を脱がせ、白い肌が露わになる。鶴之丞はそれをまるで所有物のように品定めするように眺めていた。
その無機質な視線に、菖蒲の心は凍り付くようだった。
しかし、彼の指が肩に触れた瞬間、その視線がわずかに揺らいだ。
「これは…」
鶴之丞の声が震えていることに、菖蒲は気づいた。
彼は怯えたように目を見開き、その瞳孔が揺れている。
手が肩口へとあがり、その指先が着物で隠れていた場所に触れる。
菖蒲とって、忘れ形見のようにつけられた愛おしい傷。それはもう殆どが癒えて、今では四つの犬歯てついたものが少し深い傷跡となって残っていた。
鶴之丞の顔から、血の気が引いていく。
その眼差しは、先ほどの冷たい光とは全く違う、怯えきった、何かに怯えるようなものだった。
彼の脳裏に、幼い頃の記憶がぞわぞわと蘇ってくる。
雪の降る夜
人気のない道
血と、人とは思えない喘鳴
――そして、笑みを浮かべた鬼の口から覗く、鋭い犬歯。
「…なぜ、こんなものが」
鶴之丞は、まるで穢れたものに触れたかのように、震える手で菖蒲の肩を押し退け、何も言わずに部屋を出ていった。
菖蒲は、一人残された部屋で、ただ呆然と動けないまま。
ただ、鶴之丞の先ほどの様子と童磨が噛んだ跡が
これからの結婚生活に影を落とすものになると悟ったのだった。
それ以後の生活は予感した通りになる。
鶴之丞は、菖蒲の肩の傷を見て以来、彼女を徹底的に避け、同じ屋敷にいながら、食事も部屋も別々で、会話すらない。
菖蒲は童磨に出会う前よりも更に色のない世界を生きているように思った。
ただ、舞うときだけはあの日々を思い出し懸命に舞うのみ。
それだけが、唯一生きる糧となっていった。