第36章 聞こえない音 お相手:宇髄天元
俺の耳に狂いはねぇんだ……
演奏は完璧に
寸分の狂いも無く 再現出来ている
そう 再現出来ている…のに…だ
「…違う…わな、アイツの……
みくりのピアノとは…」
同じ曲を
同じピアノで弾いているのに
どうして こうも…
違う物にしか 俺の耳には聞こえないのかと
ただ 自分の耳が
違うと言っているんなら
違うんだって事だけは 宇髄にも
分かり切っていた事でしかなくて
宇髄が指で鍵盤をそっと押すと
ポロン……と 音が鳴った
再び ピアノを弾き始めた
耳には全く同じ別の曲として
宇髄の耳には聞こえていたが
宇髄の頭の中で みくりのピアノと
自分の演奏しているピアノを重ねる
ピアノを弾いているのは
俺一人なのに
音に記憶が
重なって行く
みくりがピアノを弾くその姿が
脳裏にその音の記憶と共に蘇って来て
現実と記憶の中で
時間を超えた 連弾でも
しているかの様だった
今はもう 聞こえない音 でしかない
だが そうでありながらに
無性に その音が 聞きたくてたまらない
「みくり、やっぱさ、俺さ
お前のピアノがさ、好きだわ」
記憶の中に 残る その音を
もう 二度と 俺のこの耳で聞く事なんて
叶うはずもないのに
ふぅっと宇髄がため息を漏らして
そのピアノの前から立ち上がり
窓にその手を掛けて
ピアノに背中を向ける
「じゃあな。今日は帰るわ、
そうだな…、次来る時は…。
桜…の花が咲く頃…、にするわ」
そう誰もいない部屋で宇髄が言うと
そのまま屋敷を後にした
聞こえない音
冬が終わり
季節は春へと移り変わって居た
みくりの住んでいた洋館は
大きすぎて買い手が付かず
放置されたままになっていた
だが時折 誰も無い屋敷から
ピアノの音が聞こえると
近所の子供が 肝試しに
洋館に忍び込むのだと噂に聞いた
いつもの窓から
屋敷の中に入ると
自分の手に持っていた
満開の花を咲かせた
桜の枝をピアノの上に宇髄が置いた
「これ、……約束な」
聞こえない音
ほんの一瞬 その音が聞こえた様な
そんな気がした
ー終ー