第9章 姫さん、拐われる
「…“越後の龍”と“甲斐の虎”って確か、上杉謙信公と武田信玄公のことでしたね」
「ああ。どっちもとっくに死んでるはずの織田軍に敵対する猛将だ」
念のため小さく挙手してから発言する。
女の身である華音は、軍議に参加しているとはいえ立場は弱い。
信長がそんなことを気にするようには思えないが、念のためである。
華音は図太そうに見えて、いや実際図太いが、礼儀やマナーはちゃんとしている上で図太いのだ。
謙信と信玄のことは光秀に一任するという信長の判断でこの話は終わる。
もう誰も報告することはないと沈黙になった時、華音は先程よりも高く手を挙げた。
「華音から報告か。良いだろう、申せ」
「…先日、城下で同郷人と再会しました」
「ほう」
華音の身元を探る手がかりとも言える発言に、一同は目を見開く。
まさかこれだけが報告ではないだろうと、黙って先を促した。
「その方が言うには、ある少年が“安土の姫”を探しているらしいとのことです」
「お前の同郷人ってのは?」
「現在安土に来ている流しの行商人です」
「名前は?」
「猿飛という方です。最近その少年に会ったそうで、黒髪で13.4歳ほどの美少年だったらしいです」
華音にとって、彼らがこの話を信じるか否かはどちらでも良かった。
言うことが大事なので、頭の片隅に置いてくれれば充分だった。
「あんたを探してるって人の名は?」
「…空臣と名乗ったそうです」
華音は敢えて継国の名を言うのを避けた。
何故なら、継国が謙信の師であることを知る人がいないとも限らないからだ。
秀吉にはっきりと言われた“織田軍に敵対する猛将”が、どこまで影響を及ぼすのか分からなかった。
「で、俺達にどうしてほしい?その童を捕まえてほしいと?」
「理想を言えば、頭の片隅に置いておいてほしいです。どうでもいいなら今ここで忘れても構いません。私は、美少年が私を探す理由が知りたいので」
確かに、美少年は一言も華音を殺すとも攫うとも言ってはおらず、ただ探すとしか言っていなかった。
殺さないと分かっているなら、まだ話し合いくらいはできると思っていた。
華音が継国に狙われることに、心当たりが全く無いわけではないから。