第30章 名も無き戦い
「華音……!」
「後ででいいです」
華音に寄る光秀をやんわりと制し、解毒薬の服用も後回しにした。
「女が……調子に乗るな!」
「……おまえにとって、人間以下の家畜である女に見下ろされるのはどういう気分なのか、私は毛ほども興味がない。でも、
女に殺される覚悟もないやつが戦場に来るな。うざったい。迷惑だ」
華音は義昭のもとまで近づくと、“左腕で”義昭を掴み上げて、壁際にダンと音を立てて押し付けた。
毒に冒された女の細腕からは想像もできなかった膂力に、皆が目を見開く。
驚きながらも、これだけ身体能力が高ければ毒の巡りも遅くなるわけだと納得もした。
だが義昭だけは、全く別のところに驚いた。
華音に突き刺して貫通もしたはずの左手の傷が、何もなかったかのように無くなっていたのだ。
義昭の目線が掴み上げている左手に向いていることに、華音は気づいた。
「地獄に持って行け。私の名は、継国華音」
「……!!!」
華音が名乗ったその瞬間だけ、華音の瞳は金色に変色した。
金色の瞳がどういう人間なのか、義昭は知っている。
身分が高い人間ほど、継国がどういう人間か知っている。
光秀たちのような武士が例外的に知っているのは、陽臣に魔が差しただけだ。
だが今更華音の血筋に気付いてももう遅い。
「忌まわしき一族め……!末代まで呪ってやる……!」
「それが遺言なら、受け取っておく」
華音が義昭の最期を見届ける理由は二つある。
一つは先程も言ったように、戦の首謀者の一人としてのけじめをつけるため。
そしてもう一つは、“将軍殺し”の汚名を光秀から自分へ移すため。
例え呪いが本物になろうとも一向に構わなかった。
何故なら、華音がその末代なのだから。
「独りで死ぬのは惨めだな。足利義昭」
左手で義昭の胸ぐらを掴んだまま、右手の拳で義昭の頬を力の限り殴り飛ばした。
ドッ、と音を立てて、義昭の身体が横倒しになる。
視界が闇に覆われる間際、将軍が最期に見たものは__
鮮やかにひらめく白い衣を纏わせた、化け狐と天女のかんばせだった。