第21章 狐の謀反
「追手は振り切ったな。少し速度を落とすか」
「お願いします」
満点の星の下、光秀は華音を抱くようにして前に乗せ、馬を走らせていた。
いつもなら速度が速くても大丈夫な華音だが、光秀に支えられているこの体勢ではやや辛いものがある。
光秀はつい先程までは旅芸人の衣装に見合った顔だったのに、それを脱ぎ捨てた今はすっかり武将の顔に戻っていた。
祭り騒ぎが嘘のような気持ちすらする。
真夜中の野原は静かで、馬の蹄の音と、お互いの息遣いだけしか聞こえない。
「寒くはないか?」
「いいえ、少しも」
それどころか、華音はずっと体の奥を暖かく感じている。
光秀は、逃走の準備まで完璧に整えていた。
最小限の荷物と、一頭の馬が、舞台のすぐそばに隠されていたのだ。
華音も馬を走らせることはできるが、2頭ではさすがに目立ってしまう。
一座に危険が及ばないよう『自分ひとりが考えた演目だ』と大名に置き手紙まで残してきたという。
(私に演目の準備だけさせて内容を教えなかったのはこのためか……)
全てが光秀の掌の上だった。
刀を一振りもせずに、謀反の芽を潰したのだ。
「呆けているな。今宵の仕返しはお気に召さなかったか?」
「……まさか」
だが、これだけ派手に仕掛けた大芝居は、紛れもなく華音のための演目だった。
「ありがとうございました、光秀どの」
「夫として、当然のことをしたまでだ。……可愛いお前を貶められては、黙っていられない」
形の良い手が、髪を乱す風をさえぎるように、華音の頭に添えられる。
華音はされるがまま、光秀の固い胸板にこつんと額を寄せた。
「……光秀どの、ひとつ謝らせてください」
「ん?」
「貴方が私にくれる優しさが、貴方のご師範と重ねているからではないかと疑っていたことがありました」
義元に会った時と同じことを言った。
己に向けられる善意が、別の者への善意だったと知ることほど恐ろしいものはない。
例えそれが、偽りのものだったとしてもだ。