第58章 殊塗同帰(しゅとどうき)
(だけど、この人は?
生きる意志のない帰蝶さんは、今、見失ったら本当に死んでしまう。)
『だめですっ!』
無意識に駆け出し、帰蝶の背中から抱きついた。
『…なんの真似だ。』
冷めた瞳で見下ろしながら、帰蝶はひなの腕を振りほどこうとした。
だが、びくともしない腕に目を丸くする。
『お前、女子(おなご)なのに力が強過ぎないか?』
『この夢は、私が見ている夢でもあります。つまり、私が思ったことも叶うということ。
だから、帰蝶さんを掴む腕は絶対ほどけないように、と祈りました。』
ひなは更に、抱きつく腕に力を入れる。
『ひな。お前、俺を鯖折りする気か。』
『えっ、いえ、そこまではっ。』
一瞬、腕が緩んだものの、帰蝶が どんなに力を入れても一向に振りほどけない。
そんなやり取りをする二人の周りを覆い尽くすように、じわじわと蝶が群がり、箔のような羽根から鱗粉を撒き散らす。
『くそっ。』
帰蝶の悪態が、金色の中に吸い込まれた。
(あっ…目が…。あの時と同じ。眠くなんかないのに、開けていられない。)
ひなは、そろりと意識を手放した。
……… ……… ………
『う…。』
ゆっくりと瞼を持ち上げる。見慣れない天井があった。
何気なく首を左に振ると、寄り添うように横になり寝息を立てている後ろ姿が見える。
『ひな?』
(ここは…安土城か?ああ、俺は死に損なったのか。
毒なら間違い無く死ねると思ったのだが。
また新たな方法を考えなければな。…それにしても。)
半身を起こして、ひなの顔を覗き込む。
『気持ちよさそうに寝ている。』
手を伸ばし、柔らかな髪にそっと触れた。
『ん…。』
(おっと、起こしてしまったか。俺の隣で眠りこけるほど、この女も疲れているのだろう。)
『まだ眠っていろ。』
寝返りを打った耳元で、控えめに呟く。
もう一度髪を撫でると、安心したのか寝息が聞こえ出した。
(眠ったか。)
『もう少し…もう少しだけ、生きてみるのも悪くないのかもな。』
まるで自分に言い聞かせるように帰蝶の口から漏れる言葉を、耳にした者はいなかった。
※殊塗同帰〜たとえ方法や手段は違っても、結果や結論は同じところに辿り着くことの例え。