第55章 胡蝶之夢(こちょうのゆめ)
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『逃げるつもりですか!?何処へ逃げたって、きっと信長さまは、あなたを見つけます!』
『ああ、だろうな。だから…』
スッと体を屈め、帰蝶がひなの耳元に唇を寄せる。
『だから、その前に信長を殺せ。でなければ、お前の大事な物を 1つずつ奪う。』
『大事な…物?』
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まるで遠い昔のことのように思い出された。
(待って…ということは。)
『あの薬包紙の中身はヒ素じゃない!?』
同意するように帰蝶が口の端を上げる。
『ああ、そうだ。もっと早くに信長を殺そうと試みていれば、すぐに解ったものを。
お前が二の足を踏んでいる間に、お前も、お前の仲間も、危険にさらされる羽目になった。』
(そんな!でも、それって…。)
ハッとして、ひなが呟く。
『どっちにしても、私が罪悪感を抱くよう…に?』
冷たいものが背中を伝い落ちる。
帰蝶は、ひなの顎をすくい、注ぎ込むように言葉を落とす。
『信長に薬を飲ませていれば、その行為自体に、
飲ませず他の者が傷付いたと知れば、その現状に、
お前は必ず心を痛めただろう。
その傷付いた心ごと俺の物にしてしまえば、
2度と俺から離れられなくなると考えたんだがな。
いかんせん、お前の思考を読み誤った。』
『…最低な人。』
きっと今、他人にも解るくらい、私の唇は わなわなと震えているだろう。
(どうして…。そうか、私は帰蝶さんを信じたかったんだ。
酷い事をされても、最後はきっと解ってくれるって。
信長さまの元に戻って来てくれるって。)
『最低でも最悪でも、お前の記憶に俺という存在が深く刻まれたな。』
帰蝶は悪戯な笑みを浮かべる。
顎をすくっていた親指で ひなの唇をそっと撫で、静かに その手を離した。
『史実通り、俺が女であれば良かったものを。』
『えっ!?』
『今更 何を驚くことがある。俺もお前同様、数百年後の世界に行ってきたのだ。
真っ先に自分の事を調べるだろう?』
(確かに帰蝶さんの言うとおりかも。
強い立場の男の人なら、先の世界ではどう語りつがれているか気になるはず。)