第55章 胡蝶之夢(こちょうのゆめ)
『きゃあぁぁぁっ!!』
たくさんの人…いや、人だったであろう魂魄(こんぱく)が、虚ろな瞳で こちらを見つめている。
恐怖で固まる ひなの側に帰蝶が近付き、そっと腰を引き寄せながら言う。
『怖がらなくてもいい。それはただの魂の殻だ。』
『魂の…殻?』
『何らかの理由で、現世で生を終えた者達の…いわば脱ぎ捨てた衣と言えば分かりやすいか。生き物ではない。
ああ、だが蝶には触れるな。羽の鱗粉には毒がある。』
(えっ!)
ひなは不安そうに回りに視線を送る。
楽しげに歩くひなの後ろを、追うように舞っていた蝶達の姿は、今は離れた所にあった。
(あれ?でも、さっき帰蝶さんの回りには、沢山の蝶が飛んでたよね。帰蝶さんは平気なのかな。)
思わず帰蝶の顔を見る。
『ん?ああ、俺は大丈夫だ。俺の夢の中だからな。だが、他人がどうなるのかは良く解らん。
なにせ自分の夢に誘い込んだのは、お前が初めてだ。』
「初めて」という言葉に、何故か鼓動が跳ねる。
(ドキドキしてる場合じゃないでしょ。帰蝶さんが、どうしてこんな事してるのか確認しなくちゃ。)
『あのっ…。』
『あちらに座って、ゆっくり話そう。』
帰蝶が指差す先には小さな卓と椅子がある。自然な仕草で腰を抱いたまま歩き出した。
『は…い。』
反論出来ず、ひなも黙って歩く。椅子に腰掛けると、いつの間にか目の前の卓には茶の入った湯呑みが置かれていた。
『茶でも飲め。』
『これは…魔法か何かですか?』
(いつの間に??さっき見た時には卓の上には何も乗ってなかったはず。)
狐につままれたような感覚に、ひなが首を捻る。
『俺の夢だからな。ある程度は俺の自由だ。』
(成る程。)
取り敢えず椅子に腰掛け、湯呑みに口をつける。
(不思議。味はしないのに飲んでる感覚はある。喉の乾きが潤ってきた。)
『で、なにから聞きたい?』
しばしの沈黙の後、帰蝶が先に口を開いた。
『えっ?ええと…。』
いざ話そうと思うと、何をどう聞いたらいいのか考えてしまい、ひなが言い淀む。
『それじゃ…順を追って聞かせてください。
どうして私に毒を飲ませたんですか?信長さまを困らせる為なら、もっと重要な立場の人が たくさんいますよね?』