第11章 来たる日のためのエチュード【邁進〜底辺】
閑静な集合住宅のアパートに訪れた詞織は、伏黒と共に、とある部屋を訪ねていた。応対しているのは、刑務所で死んだ岡崎 正の母親だ。
詞織はただ黙って、伏黒の説明を聞いていた。
「自分たちが現場に着いたときには、すでに息子さんは亡くなっていました。――正直、自分は少年院(あそこ)の人たちを助けることに懐疑的でした。でも、仲間たちは違います」
助けることはできなかったが、岡崎の死を確認した後も、遺体を持ち帰ろうとしたのだ。
淡々とした声音で説明する伏黒の隣で、詞織はあの雨の日の任務を思い出していた。
伏黒から話は聞いていた。宿儺が連れ出してくれなかったら、きっと自分も生得領域と共に消えていただろう。どういう風の吹き回しだったのかは分からないが。
「せめて、これを」
伏黒が懐からビニールに入れられた端切れを差し出す。
『岡崎 正』と刺繍された端切れに、岡崎の母は息を呑んだ。あれは、伏黒が去り際に千切った岡崎の作業着に縫いつけられていたものだ。
受け取った岡崎の母に、伏黒が深く頭を下げる。
「正さんを助けられず、申し訳ありませんでした」
伏黒に倣い、詞織も頭を下げた。すると、岡崎の母は、「いいの」と震えた声で続ける。
「……謝らないで。あの子が死んで悲しむのは、私だけですから」
詞織は伏黒と顔を見合わせ、もう一度 頭を下げ、アパートを出た。
沈んでいた空気を払拭するような青空に、二人揃って目が眩む。そして、伏黒は大きくため息を吐いた。その手は固く握られ、小さく震えている。