第9章 グラン・ギニョールの演目【呪胎戴天】
『他の誰かの愛なんていらない。詞織がいれば……詞織が愛してくれていれば、それでいい』
やがて、宿儺は長い指を突きつけてきた。
『ふん……貴様、名は?』
『…………詩音』
躊躇したのは、名を明かせば相手に呪力を持って"縛られる"可能性を危惧してのことだった。
だが、今 相手の要求を跳ね除けることはできない。
『姓も明かせ』
『ないわ、そんなもの。あたしたちを殺そうとしたヤツらと同じ姓を名乗るなんて、吐き気がする……!』
あの日の怒りや憎悪が蘇り、ぶわっと詩音の呪力が溢れ、空気を震わせる。
それを見て、宿儺は『ククッ』と愉快そうに喉を鳴らして笑った。
『良かろう、詩音。そこまで言うならば助けてやる。その代わり、【契約】だ』
――俺が次にお前の名を呼んだら、力を貸せ。
"縛り"の上書き。
宿儺の要求に、詩音は戸惑ってしまう。
『あたしの力を……?』
詩音が貸さずとも、宿儺の力を持ってすれば大抵のことはできるはずだ。
それに、詩音は縛りのために本来の力を奮うことができない。
『言っただろう? これは契約だ。俺が呼んだ瞬間、お前は俺に力を貸す。そして、その瞬間だけ、お前は一時的に縛りから解放され、己の全ての力を奮うことができる』
宿儺の言葉に、詩音は答えを逡巡してしまう。
だが、それは本当に一瞬で。
『――分かった』
躊躇わなかったわけではない。
縛りの上書き。『俺が呼んだら』。
その状況がどういったものか。想像できないことに恐怖を感じる。
もしかしたら、星也や星良、五条たちに敵対する、ということも考えられないわけではない。
それでも、詩音にとって、詞織以外の人間などどうでもよくて。
伸ばされた宿儺の手を詩音はとる。
見下ろす宿儺は愉快そうに目を細めていたが、詩音には自分がどんな表情をしているかは分からなかった。