第4章 一ヶ月後
人は、命の危機にある時、通常以上の力を発揮できるものだ。
乱れる息と、激しく打ち鳴らされる心臓に苦しさを覚えながらも、立ち止まることはない。
何がなんでも、逃げ切らなくては。
焦りに汗を滲ませるなまえの視界に、コンクリートブロックの塀が目に入り、素早くその裏側へと体を滑り込ませる。
「…何したの?」
耳慣れた声に、一瞬どきりとしたが、その声は自分を追っていた者のものではないことにはすぐに気づいた。
口に、頭にタの付く未成年は禁止されているものを咥えて、いつもの飄々した様子でなまえを見ている硝子。
おいこら高校生、と突っ込みたいが、今はそんな余裕もない。
返答だけ簡潔にする。
「大福の餡子に唐辛子練り込んだ」
「プリンぶりにやっちゃったね〜」
「ほら、災害って忘れた頃にくるもんだから」
「災害っていうか人災だよね」
どこか感心したように硝子が頷いた、その瞬間。
バキバキっと破壊音と衝撃が伝わって、頼もしく佇んでいたはずのコンクリートブロックが、崩れ落ちる。
「なまえてめぇ…覚悟はできてるよな?」
思わず一歩引いたなまえの耳に届く、怨念のこもった声。
コンクリートブロックが崩れ去っていく向こう側に、白銀に輝く般若が見えた。その般若ならぬ五条の口元が若干赤く見えるのは、なまえの弛まぬ努力が実った証拠だろう。
命の恐怖を感じながらも、左手で心臓近くを掴み、心を落ち着かせて、口を開く。
「そっちこそ、覚悟はできてる?」
「はぁ?お前の死を背負っていく覚悟ならとっくにできてるけど?」
「(やばい殺られる)ちがうちがう」
できるだけ余裕に見えるように。
少し面白がるように、なまえは五条の背後を指差した。
「コンクリートブロックを壊した件で、五条の後ろで怒りに震えてる夜蛾先生の拳骨をくらう覚悟だよっ」
「っえ゛!?」
一気に表情を歪ませて、五条が誰もいない背後を振り返った瞬間に、なまえは反対側へ猛ダッシュをする。もちろん硝子に手を振ることを忘れない。
「嘘も方便…まだまだ甘いな五条」
「はい、捕獲」
完全に勝ちを確信していたなまえの腕が突然拘束され、足が宙を舞う。
すぐ背後で聞こえた声に、しまった、もう1人いたと、冷や汗が流れた。