第1章 1
「お主は何をしとるんじゃ?」
居るはずの無い声に驚いて振りかえる。闇夜に溶けるように、長身の男性が立っていた。
「コエンマ様…」
私が口からこぼれた言葉は、彼のため息にかき消された。
「まったく。話を聞かんと思ってきてみれば。」
眉間にシワを寄せ、キレイな顔立ちを歪ませるとコエンマ様はこちらに近づいてきた。
いつも温厚な彼にしては怒っている。
「お主は霊感もある。異常な事が起きているのに気づいているのも知っておった。が、ワシを信用してはくれんのか?」
異界との巨大な穴が開きそうだと、昔馴染みのコエンマ様から聞き知ってはいた。自分でも異常な時空の歪みに気づいていた。
何かをしたかった。
自分の微力な力でも、何かを。彼の助けになりたかった。彼には大きな力を備えた仲間が沢山居るのは知っているけれど。
「ごめん…なさい」
俯いて、言う言葉も見当たらず謝った。忙しいだろうにわざわざ私を探しに来てくれて、手間取らせてしまった。バカだな。彼の助けになるどころか負担になってる。
「大変な時にすみませんでした。もう、危ない所へは行きません。家に帰ります。」
つとめて明るく声に出して笑顔を作る。
「コエンマ様、大事な体なんですから気をつけて下さいね!」
わざと目の前の彼の肩を力強く叩き、悪戯っぽく笑った。
グイッとその手を捕まれ、私は目を見開いた。
「ワシが…」
そのまま後頭部に大きな手が添えられ、引き寄せられた。広い胸板に顔が押し付けられて、抱き締められたと気がついた。
「ワシが大事に思うのはお主だ」
見上げると、いつもは大人っぽい顔がほんのり赤く染まっていた。優しい眼が私を見ている。動けずに固まったままの私に
「無事に帰ったら、うまい飯でも食いに行こう」
とにっこり笑い体を話すと、コエンマ様はクルリと背中を向けた。
そのまま後ろ手に手を降ると
「何が食べたいか、よく考えておくのじゃぞ」
と闇夜に溶けるように、あっという間に消えてしまった。
突然の言葉と。
突然の宿題。
あの人にはいつもかなわない。
「食べたいもの」
貴方と無事に食べられるなら、何でもいいんだけど。
捕まれた腕。
彼の熱を思い出して私はそこへ唇を落とした。