第59章 大正“小話”ー天晴ー
『ねえねえ霧雨ちゃん』
私は振り返りました。
安城殿だ。
つい先ほど鬼になる薬を飲んで、ようやっと桜くんの屋敷から出たところで呼び止められたのです。
『あれ、本当に鬼になる薬?桜は嘘をついてたんじゃない?』
氷雨くんはもう帰ったのでいません。
『嘘の気配はしませんでした。』
『ふぅ…ん。いや、おかしいのよね。いくら追い詰められたからって頭の良いあの子がそんなことするなんてあり得ないわ。』
安城殿は首をかしげました。
『何か隠している気がするのよね。霧雨ちゃんも春風も気づかないような、何かを…。』
『直接お尋ねになればよろしいかと。』
『嫌ねぇ、聞ける雰囲気じゃなかったでしょ。』
…雰囲気?
わかりません。そんな抽象的なことを言われても理解できません。
『春風も大きな任務があるって言うし…何でも遊郭に潜入調査らしいわ。』
ユウカク?
何でしょう、それ。
『あぁ話が逸れちゃった。ねえ霧雨ちゃん、私すごく思うのよ。桜って鬼に対する嫌悪感が頭一つ抜けてるし。何か企んでると思わない?』
『……それは、安城殿が鬼に対する感情を何も有していないから、特別そう思われるのですか?』
私が聞くと、安城殿は目を見開きました。
彼からは何も感じない時があります。基本的に無感情な人です。笑っていても楽しい気配がしない時があります。
恐らく、感情の変化が乏しいのでしょう。
『あらやだ、本当にお見通しね。春風もたまにそう言うから嫌になっちゃうわ。』
『私がお嫌いですか。』
『違うわ、大好きよ。』
安城殿はにこりと笑った。
『………秘密を抱えて生きている人間は、それを背負わなければならない。隠し通せない秘密は秘密ではない。秘密が秘密でなくなったとき、私達は……。』
忘れられないのです。
私はいつまでも忘れられないのです。
安城殿、どうして。
どうしてですか。
なぜなのですか。
『………きっと、お墓の下ね。』
どうして、そのようなことをおっしゃったのですか。