第13章 時を越えて〜分岐〜家康ver. ※R18あり
政宗、信玄もそれぞれ妻を娶った。
政宗は政宗の母方の実家、最上家を伊達傘下にする条件として、政宗の従兄弟の娘である姫を娶った。『俺は伊達家の当主だからな。己の婚儀も自由にはならない。』婚儀が決まった時に、家康にそう語った政宗の顔は寂しそうだった。家康のように愛する女と夫婦になることの方が、珍しい時代。政宗の選択はやむを得なかった。その後も、政の一環として側室を2人娶り、家康と同じ5人の父親となった。
だからと言って、政宗は不幸なわけではない。元来の何事も楽しもうとする性格のおかげで、3人の妻とも上手く行き、家庭は円満だ。妻を『愛してるか』と問われれば、答えられないが、それもまたひとつの幸せの形だった。
信玄も政宗と同じように、政略結婚で妻を娶った。正妻の他に側室が3人と子は6人。女人好きで博愛主義の信玄は、4人目の側室を娶ることも決まっていた。立ち回りが上手く、頭も良い信玄は、武田家の当主として立派に甲斐の国を治めていた。
一方、相変わらず独り身の、信長、謙信、秀吉、光秀、義元、佐助、幸村のうち、秀吉だけは近く祝言を上げることが決まっていた。相手は九州の島津家の姫。こちらも三成と同じ和睦の条件の婚儀だった。ただ、三成の場合と違い、島津の姫はとても気立てが良いと評判だった。面倒見が良く、優しい秀吉と気立ての良い姫ならば、夫婦生活は上手く行くことだろう。
幸村は独身を貫くつもりは特にないが、『女はめんどくさい』が基本思考のため、妻を娶ることに魅力を感じなかった。跡取りにも特にこだわっていない。『自分に跡取りができなければ、家臣の誰かに家督を継いでもらえばいい。』ただ、それだけ。女の相手をするよりも、佐助と遊んでいる方が何百倍も楽しい。それが本音だった。
佐助は『自分は家庭を持たない』と固く心に誓っていた。自分の育って来た環境のせいで、家庭生活に対して拒絶反応しかなかった。元々、学者肌の佐助は、新しい忍び道具の開発に生き甲斐を感じていた。
義元と光秀は先述の通り、妻を娶る気はない。
謙信は相変わらず、女人を側に置きたがらなかった。舞以外の女性には全く興味がない。舞が家康の妻となっても、変わらず舞を想っていた。その気持ちが報われずとも、舞が生きて笑っていればそれで良かった。謙信の側には佐助がいる。信頼する佐助が変わらず仕えてくれるだけで、謙信は満たされていた。