第38章 誰かの記憶ー新たなる霞ー
帰ってこないなあ。
空を見れば、名前の知らない鳥が飛んでいた。何て名前だっけ。帰ってきたら師範に聞こう。
師範は物知りなんだ。だから、何でも教えてくれる。
「時透」
名前を呼ばれた。
誰だっけ、この人。
「……玄関で何をしている」
ひめ…ひめ…。
あ、悲鳴嶼さん。
「師範の帰りを待ってるんです。もう昼なのに帰ってこなくて…。きっと、どこかで寄り道しているんだろうなあ。」
帰ってきたら何しよう。また紙飛行機を教えてもらおうかな。師範の紙飛行機は鳥みたいに空を飛ぶんだ。
「…もう、帰ってはこない。」
「?」
「忘れたのか。つい先日、お前の師は死んだ。今はお前が霞柱だ。」
……。
ああ、そうか。そうだ。
師範、死んだんだ。
「…これは何だ?」
「何でしょう。」
「…。」
悲鳴嶼さんが玄関に落ちていた布を拾った。
バラバラと何かがこぼれ落ちた。あーあ、汚れちゃった。師範が一番怒る…あ、死んだんだ。
「ボタンか」
「そうなんですか。覚えてないです。」
「…のか。」
「……?」
わからないものはわからない。
そういえば、師範ってどんな人だっけ。どんな顔だっけ。
「……ともかく、アイツの帰りを待つのはやめろ。……このやり取りも3回目だが、お前は覚えていないのだろうな。」
目の前の人は呆れたように言った。
ええ…そんなにダメなのかな。鬼さえ斬れれば良いと思うけど。
『いいんですよ、無一郎くん』
「誰?」
声がして、あたりをキョロキョロと見渡した。
悲鳴嶼さんしかいない。でも、女の人の声だったような。
「どうした?」
「…女の人の声がする。」
『忘れても、忘れても、いつかきっと……忘れた記憶は君を助けてくれる。』
「誰?耳を塞いでも聴こえてくる。気持ち悪い。」
ほんの少しの懐かしさを感じる声で、それ以外は何ともない。何だろう、敵意は感じないけど。
「…それはお前の記憶だ。恐らく、亡き師の言葉だ。」
「記憶…。」
「お前の中で、アイツは何と話しているのだろうな。」
悲鳴嶼さんはボタンを元に戻して、すぐに去っていった。
まだ声がしていた。
『頑張りなさい、無一郎くん』