第7章 鉛の空にきのこ雲
当たり前への感謝を忘れた2人の愛の詩は
皮肉にもよくあるつまらぬ物に成り下がる。
どちらが幸せかと問われたら間違いなく今だろう。
だが愛の重さはどちらが上なのだろうか。
人はなんとも傲慢で自堕落な生き物だ。
求めていた幸せを神が与えても
それに気が付くこともなく
怠惰なぬるま湯につかり続ける。
そして神など居ないと
他力本願な八つ当たりを繰り返す。
繰り返してはならない歴史の中
寂しがりの恋詩を紡いだ2人の愛は
何よりも純粋で強いものだった。
今はよくある退屈な恋詩だと
2人はそう思っているのだろう。
それが悲劇だと気づかなくてはならない
幸せから目を逸らしてはならない。
人間は思考する生き物だ。
思考を放棄したらソレは獣と変わらない。
平和な世界のぬるま湯に浸かる私達は
日々が早く感じるほど思考を手放している。
それは果たして 人 なのか。
当たり前の幸せを特別な刺激と捉えられれば
人は歳をとっても新しい発見に溢れ
時を早く感じる事など無いのではないだろうか。
晴天の空にきのこ雲は無い。
この美しい青を常に掲げ続ける為に
生まれ変わった彼等や私達が
当たり前 の有り難さに気がつく事を
心の底から願っていよう。
人間は思考できる生物なのだから。
今日も世界は至って平和で退屈な
とても幸せなのぬるま湯だ。
何故今がそうなのか少しばかり考えてみよう。