第16章 6区
「ねえ、気づいた?沿道に…」
「ああ。気づいた」
誰に、とまで言わなくても、ユキくんにはわかったようだ。
疲労の色を見せながらもその表情は穏やかで、つい先程送られた声援を思い返しているかのように見える。
「あの御守りね、お母さんがくれたんだよ」
柔らかく細めていたユキくんの目が、丸く形を変えた。
商店街で偶然お母さんに会ったこと。
寛政大のみんなのために、御守りを準備していてくれたこと。
名前を明かさないまま、激励の言葉を残してくれたこと。
走るユキくんに声援を送ったあと、3人でその活躍を喜んでいたこと。
お母さんが、涙ぐんでいたこと。
私が知るお母さんのことを、ひとつひとつ話した。
「ごめんね。ユキくんのお母さんかもしれないって思ってたんだけど、確かなことでもないのに言えなくて…」
「いや…」
短くそう返したあと、ユキくんはフゥッ、と大きく息を吐いてから天を仰ぎ見た。
「何やってたんだろ、俺…。ははっ…、何か、気が抜けた…」
眼鏡越しの瞳が、滲み始めた。
肩に掛けていた毛布を頭から被り直したあと、小さく呟く。
「悪い、舞…」
「私、ジョータくん見てくるね」
一人になりたいのではないかと思い、腰を上げる。
ところがユキくんの手は私の手首を掴み、自身の傍らに座らせた。
「ここにいて」
顔は見えない。
でも、声でわかる。
今、ユキくんがお母さんを想って泣いていること。
ここにいる。
ユキくんが望むだけ、そばにいる。
毛布の中で私の手が包まれた。
返事の代わりに、きゅっと握り返す。
大丈夫だよ。
ユキくんはこれからきっと、沢山お母さんと向き合えるから。
道路にはパラパラと小雨が落ちている。
いつの間にか、雪が雨へと変わったらしい。
山の向こう側には、ぼんやりと明かりが見える。
薄い雲で遮られていて陽は射していないけれど、あの方角にはほのかな光が一帯を包んでいるのだとわかる。
きっともうすぐ、雨は止む。