第8章 Cold Rain
肩を震わせて俯く沙羅に、ウルキオラは掠れた声で呟いた。
「おまえは……本当に何も憶えていないのだな……」
どこか寂しそうに
ひどく哀しそうに
「自分のことも、この桜のことも……」
怪訝そうに顔を上げる沙羅に、ウルキオラはひとつひとつを区切りながら静かな声色で続ける。
ふたりの頭上で至るところから雨雫を散らす桜の大木はまるで泣いているようにも見えた。
その雫が一粒、ウルキオラの頬に落ちた。
「俺がなぜ……おまえを殺せないのかも――」
彼の仮面紋(エスティグマ)の上を伝い流れ、やがて雫は消えた。そこに涙のような跡を残して。
「どういうこと……?」
沙羅が訊ねても、ウルキオラは瞳を伏せたまま答えない。ただ自嘲の笑みを浮かべて
「だが……これで良かったのかもしれない」
雨に濡れた斬魄刀を拾いあげ、沙羅の冷たくかじかんだ手に握らせた。
「俺を殺せ」
一切の感情を殺した無機質な声でウルキオラは告げた。
「……なにを……」
「俺は……きっとまたおまえを、おまえの仲間を傷つける」
驚愕する沙羅に、翡翠に光る鋭い眼差しを向ける。
「今ここで俺を殺さなければ、この先もっと多くの仲間を失うことになるぞ」
脅しにも似た口調でウルキオラは畳みかけた。だから殺せ、と。
白い手に導かれ、斬魄刀の切っ先が4の数字の上に突きつけられる。沙羅がこのまま力をこめればたやすくその胸板を貫くことができるだろう。
力をこめることができれば。
カタカタと斬魄刀を握る右手が震えた。
十刃を殺す。それは反乱を目論む藍染にとっては大きな損失となり、尸魂界にとっては大きな希望となるだろう。魂の平穏を護る護廷隊の副隊長としてこれ以上の働きはない。
けれどそれは彼を――いつからか己の心の拠り所となったウルキオラを失うことを意味していた。