第4章 恋にマニュアル本は必要ない
神威はそんな皐月の顔を見ながら、自身が春雨に入ったばかりの事を思い出していた。
今でも初めて彼女と会った時の事を覚えている。
阿伏兎の後ろに付いて、春雨母船に初めて着いた日。鉄の塊のゴミ溜めに、皐月はいた。宇宙の見える窓枠に、番傘を抱えて彼女は座っていた。
神威の鼻は、彼女の華の様な香りの中に染み付いた、血の匂いをあざとく嗅ぎ分けた。夜兎は皆似た匂いがするが、皐月は鳳仙とも、自分のくそな父親ともちがう、獣の臭いが混ざっている。
いつだったか、鳳仙の気まぐれで、第七師団の任務に皐月が参加したことがあった。その時、彼女のその匂いの由縁たるを見た。
息を切らすことはない。汚く暴れる野郎の夜兎とは違う、舞う様に戦場をかけるその姿。一見花弁が散る様に見えるそれも、よく見れば敵の首に噛みつく獣だった。後ろを振り返ることはなく、ただ前だけを、戦場だけを見つめている皐月に、神威は血が沸騰するのを感じた。
本能のまま彼女のうなじ目掛けて飛び蹴りをかました。
かましたつもりだった。
易々と足首を掴まれたと思えば、容赦なく顔面から地面に叩きつけられた。
「いててて。」
鼻血を出しながら見上げた先、神威が見たのは雪の様に白く、冷たい顔だった。
手ひどくボコボコにされる事を覚悟したが、案外あっさり手を離した彼女は、本当に神威に興味がなさそうな様子であった。
自分に背を向け去っていく皐月の後ろ姿を見送った後、自分と同じく地べたに転がった死体を見る。
もし自分が死ぬ事があったなら。
最期に見る顔が美人だとはいえ、あんな冷たい無表情じゃ浮かばれないなぁ、と思うのだった。
「俺からしてみれば、皐月さんの顔のが気味悪いと思うけどね。」
「減らず口叩く暇があるなら、逃げたアホどもを捕まえてきたらどうだ。…バカ提督。」
そう言って、皐月は神威の足首を投げ捨てる様に手放し、いつかの日の様に背中を向けた。