第1章 柔らかい笑顔
魔族の領域に住み始めて間もない頃のとある夜。
天藍が夜更けになってようやく目覚めたと聞いて、影の破片を取り除いたばかりで伏せっている彼を見舞おうと、あたしは屋敷内を歩いていた。
…というか、広くてまだ迷うんだよね…
不安な足取りで進んでいくと、廊下の先の少し開いた扉から灯りが漏れ出しているのが見える。近付くとその部屋の中から声がした。
「どちらに行かれるんですか?」
どうやらここは油烟の自室だったらしい。あたしの姿を発見して部屋の主は廊下まで出て来た。
「二藍く…じゃなかった、あの子の様子見てこようかなって」
「お見舞いですか」
そこで油烟はやや表情を曇らせる。
「今は…やめておいた方がいいですよ」
「どうして?」
「相当ご機嫌ななめです」
そっか……あたしのせいで怪我もしてるし、顔なんて見たくないかも…
「やめときます…」
あたしの落ち込んだ様子を見て、油烟はクスッと小さく笑った。そして励ますつもりなのかこう告げてきた。
「お茶でも飲んでいきませんか?」
室内に招かれると、ほどなくして高価そうなティーセットが出てくる。
「どうぞ」
穏やかな口調で油烟はティーカップを差し出し微笑んだ。
いい香り…さっき屋敷内を歩き回ったから喉渇いたし、飲んでみたいけど…
少し警戒して手を出さずにいると、彼がため息まじりに説明してきた。
「ただのハーブティーですよ?毒も薬も入ってやしません」
「そ、そんなこと…」
「…あなたはいつになったら僕への警戒心を解いてくれるんでしょうね」
図星を指されたあたしの反応を見て、独り言のように呟く油烟。その表情は少し淋しそうに見える。
ふいに気まずくなってしまい背を向け立ち去ろうとすると、素早く後ろからふわっと抱き留められた。
「逃げないで…今夜はここに泊まっていったら?」
耳に触れる意外な程の優しい声。困惑するあたしに油烟は追い打ちをかけてくる。
「どうせ一人では自室に戻れないのでしょう?」
よ、読まれてる…でも急に泊まれだなんて、なんで…?