第8章 月夜のティラミス
「あ。すみません、今のは殺人計画とかではなく。趣味でミステリー小説を執筆していて、その……って。松田さんじゃあないですかぁ~。」
顔をあげたその人物――杏奈は、声をかけてきた人物が松田だとわかると、安堵の息をはいて、だらりと脱力した。
普段とは違う、警官らしいかしこまった口調で声をかけた所為で、すぐに彼だと気づけなかったのだ。
計画通りに驚き焦った顔をした杏奈に、松田はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「でもお前その悪いクセ治さねぇと、いつかマジでしょっ引かれんぞ。」
松田は杏奈が、趣味でミステリー小説を執筆していることを知っている。しかし、そうでない人間が耳にすれば、十中八九、殺人計画を練っていると思うだろう。
コツンと優しく杏奈の頭を松田は小突いた。
「うぐ……気を付けま~す。」
身に覚えでもあるのか、杏奈はばつが悪そうに答えた。大方、過去にその悪いクセが原因で、なにかやらかしたことがあるのだろう。
思わずあきれたような表情を浮かべ、お説教でもしてやろうと口を開きかけた松田だが、それを察した杏奈が先に口を開いたため、渋々口を閉じた。
「松田さんとここで会うのは初めてですねぇ。」
のほほんとそう口にする杏奈の云う通り、ふたりが会う場所は大抵がモリエール。ときどき店へ向かう途中の道で、買い出しに行っていた杏奈とばったり鉢合わせることはあっても、此処のようにモリエールと全く関係ない場所で遭遇するのは、初めてのことだ。
何か調べものですか?とこてんと首をかしげる杏奈に、松田は読書をしにきたことを伝える。
「松田さんと図書館って、似合わない…違和感しかない……。」
手に持った本を掲げる松田に、杏奈は意外ですねとにへらと笑った。彼女は気づいていないが、言われたそばから悪いクセが出てしまっている。
松田はもうわざわざ注意するのも、文句を言うのも面倒で。とりあえずいつものノリで杏奈の顔面を、片手で鷲掴んだ。
「痛いぃ~。助けて~!お巡りさん、この人ですぅ~~っ。」
両手がふさがっているために、鷲掴みにされた手をはがすこともできず、せめてもの抵抗にと声を上げる杏奈。