第7章 あまーいバニラの香りを添えて
ついに待ちに待った夏休み。
学生の多くは辛いテストを乗り越え、訪れた待ちに待った長期休暇を、友人と遊ぶことで満喫していることだろう。
しかし杏奈は、その大半をモリエールでアルバイトに勤しみ、休みの日には夏休みの宿題に手をつけながら、読書の時間に消費していた。なんとも味気ない夏休みである。
彼女自身が好んで、その味気ない日々を過ごしているという点を上げれば、それは十分に満喫していることになるのだろうが。
杏奈は私室にある鏡に向き合っていた。
北欧風の白を基調とした温かみのある部屋は、彼女好みの家具や小物で満たされている。
その中でも一際目を惹くドレッサーの上には、同年代の少女たちの間でも人気のコスメが置かれていた。
杏奈はその中から自然な発色の薄桃色のリップを取り、唇に乗せる。上下の唇をすり合わせてから鏡で確認した杏奈は、うんと一つ頷いた。
ドレッサーの上に散らばるコスメを、メイクボックスに閉まって、姿見の前に立つ。
「んー……これで大丈夫かなぁ?」
姿見の前で何度も身を翻しながら、可笑しなところはないか確認する。
大丈夫かな…大丈夫だよねと一人で考えていると、ローテーブルの上に置いてある携帯が着信を知らせた。
手に取り確認すると、本日会う約束をしている相手から、もう直ぐ着くという知らせで。杏奈は了解しましたと打ち込み返信すると、最後にちょいちょいと前髪を直して、鞄を手に玄関へと降りた。
靴を履いて玄関を出ると、家の前に一台の車が停まっている。
洗礼されたフォルムの深い青色のセダンは、車に疎い杏奈にも一目で高いとわかるもので。
何となく躊躇していると、車に寄りかかっていた人物が片手を挙げた。
「お待たせしてすみません、萩原さん。」
杏奈の家の前で待っていた人物であり、本日一緒に出かける約束をしている萩原は、歩み寄る彼女に微笑んだ。
萩原と初めて対面して、松田と三人でアフタヌーンティーを共に過ごしたあの日を境に、モリエールには新たな常連が増えた。言わずもがな萩原である。