第3章 意地悪なマシュマロ
長居するつもりはないという意志表示だろうと受け取って、杏奈はカウンターの中に入ると素早く手を洗い、グラスに水を注ぐ。
どーぞーと杏奈は男の前に水の入ったグラスと、必要ないだろうとは思ったが、一緒にメニュー表も添えた。
「ホットコーヒー。砂糖もミルクもいらねぇ。」
ご注文が決まり次第お声掛けくださいと、テンプレートの台詞を口にする前に、男はぶっきら棒に注文を口にした。店内にはいる際の男の態度から、てっきり何も注文しないものと思っていたが、そうではないらしい。
何も注文しないのに店内に居座るほど図太くはないんだなと内心思いつつ、杏奈は申し訳ありません…と口を開く。
「店長が不在で、美味しいコーヒーをご提供することができないのですが、それでも宜しいでしょうか?」
丁寧な口調だが、その内容は些か礼を欠いたものだ。
男もまさかそんな言葉が返ってくるとは思ってもおらず、サングラスの奥の瞳を丸くして杏奈を見る。
しかし杏奈の態度は変わらない。本気で言っているのだ。
男は見開いた目を眇める。
「コーヒーが駄目なら、何なら大丈夫なんだ?」
「紅茶なら!最高の一杯をご提供させていただきます!」
訝しげに問う男に、杏奈は即座に言葉を返した。
体制も気持ち前のめりになっている。いつも眠たげに見える重たいタレ目も、パッチリと開いて輝いているように見えるのは、恐らく気のせいではない。
杏奈の勢いに身体を逸らして距離を取った男は、ふっと口の端を釣り上げて言った。
「じゃあ、コーヒーで。」
カウンターに肘を付き頬杖しながら、脚を組みニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる男に、今度は杏奈が瞳を丸くする番だ。
美味しいコーヒーは提供できないと言っているにもかかわらず、男は再度コーヒーを注文する。余程のコーヒー好きなのか。それとも人をおちょくるのが好きなタイプなのかもしれない。
「それと、何か適当に腹に溜まるモンも。」
それだけ告げると男は、話は終わりだとでも言うようにメニュー表を差し出してくる。どうやら本気でコーヒーを頼むようだ。