第13章 ふわりとほどけるババロア
"From:XXXXX@XXX.co.jp"
"件名:坂口杏奈です"
"TEL:090-XXXX-XXXX
登録よろしくお願いします!
タバコはほどほどに(乂ω′)
おやすみなさい"
送り主は松田の想像通り、先ほど連絡先を教えたばかりの杏奈で。
まるで自分の行動を見透かしているかのような、その最後に添えられた一言に、松田は思わず背後を振り返る。しかし当然、そこに彼女の姿はない。
相変わらず鋭い杏奈に、松田はガシガシと頭をかいた。
とりあえず送られてきた連絡先を登録して、手短に一言だけ返信する。ちゃんと送信できたことを確認した松田は、しかし携帯をポケットにしまうことなく、じっと新たに登録された名前を見降ろした。
"坂口杏奈"
別に連絡先を交換するつもりはなかった。
平日、休日問わずアルバイトを入れている杏奈は、モリエールに行けば大抵は出勤していたし、萩原のようにわざわざ休日に彼女と出かけるような予定もない。
連絡先を交換する必要などないと、ずっと思っていた。
しかし実際に連絡先を交換して、彼女の名前が自分のアドレス帳に記されているのを見て松田の胸に沸き起こるのは、言い知れぬ満足感と充足感。
杏奈と連絡先を交換したことを喜ぶ松田が、確かにそこにいた。
松田はしばしそれを眺めながらすこし考えて、おもむろに携帯に指を走らせる。カコカコと数回ボタンを押し込んで、松田は携帯をポケットに押し込んだ。
すぅ……と息を吸って、紫煙を吐き出す。
操作しているあいだ咥えたままだったタバコは、思ったよりも短くなっていて。
まだ吸えないこともないそれを、松田は携帯灰皿に押し付けてもみ消した。
アイツなら見てなくても気づきそうだからな。
千里眼でも持っていないと不可能なそれを、杏奈ならば本当にやってのけてしまいそうで。松田は小さく笑って顔をあげた。
見上げた先に広がる夜空には、淡く輝く月が浮かんでいる。
昼間の太陽とは違う、穏やかに包み込むような優しい光。それが別れ際の杏奈の笑みと重なって、松田は小さく鳴いた胸に手をあてた。
そこには彼女との繋がった小さな箱が、確かな質量をもって存在していた。
ーー ふわりとほどけるババロア ーー