第10章 チャイの香りと共に飲み込んで
だから彼は杏奈の話しを聞いてすぐに、松田がまたその場限りの関係を結んだのだと、理解することができた。同時に、鋭い洞察力をもつ杏奈の前に、その足で直接むかうなんて不用意なことをした友人に、思わず呆れてしまったのだが。
わからないのは、なんで今になって杏奈ちゃんに触らなくなったか。……だよなぁ。
松田から嗅ぎ慣れない匂いがした理由は、容易にわかったが、問題はそこではない。
今まで気軽に杏奈に触れていた松田が、なぜ今になってそれをしなくなったのか。
松田と杏奈のじゃれあいは、萩原も頻繁に目にしている。それこそ、触れない日がないほどに。
杏奈の話しを聞く限り、接触がまったくなくなったわけではないのだろうが、それにしても腑に落ちない。
どうして今になって、彼女の頭にだけ触れなくなったのだろうか。
女抱いてたその手で、杏奈ちゃんに触れるのが申し訳ないから?
それこそ有り得ない。松田はいちいちそんなことを考えやしない。
何より、松田が不特定多数の女性と関係をもつことなど、今に始まったことではないわけで。
それでも今まで普通に杏奈に触れていたことを考えても、それは有り得ないことだ。
その女となにかあったのか。それとも——…。
「杏奈ちゃんさ、図書館であったときに松田になにか言った?」
萩原は杏奈に問う。
言われた通り、杏奈は図書館で松田と会ったときのことを思い浮かべる。
しかし最初に松田に声をかけられたときと、帰路をたどりながら会話をしたくらいで、お互いに別々のことに没頭していたため、会話らしい会話はほとんどしていない。
言葉を交わしたときですら、本当に取り留めのないようなものばかりで。記憶に残るようなことは話していないような気がする。
「そうだなぁ……、特に頭に触れることに関して。」
首を傾げる杏奈をみて、萩原がそう助言をする。
萩原の言葉にしばし考え込んだ杏奈は、あ…と小さく声をもらした。
「"好きみたいです"って、いいましたぁ。」
あの夜、杏奈は別れ際に頭を撫でる松田に、彼に頭をなでられるのは好きだと伝えた。