第9章 ロシアン月餅ルーレット
チリチリと心が燃える感覚に、松田の苛立ちは増していく一方。
しかしそれは一瞬のことだった。
「でも、私自身に恋愛をする気がないのでー。お客さまとして来店してくれると、ありがたいです。」
お二人のお孫さんならきっと素敵な方なんでしょーねぇと、杏奈は決して角を立てることなく、老夫婦の提案を断った。
提案を断られた老夫婦も、自分の孫を褒められて悪い気はしない。
そういえばまだ連れてきたことはなかったなぁ。今度連れてきましょうかと、ニコニコと穏やかに微笑みあっている。
ニコニコと微笑みあう老夫婦に、ご来店した際にはぜひ紅茶を淹れさせてくださいと微笑んで、杏奈はスッとテーブルから離れた。
それを見ていた松田の心は、もう靄が立ち込めることも、チリチリと音をたてることもなかった。
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モリエールでゆったりと朝食をとるお客もそれなりにいるようで、朝の時間帯ではあるが、徐々に人の数が増えてきた。
常連客たちと気軽なやり取りをする杏奈をみながら、ときどき彼女と会話を楽しんでいた松田だが、店内の混み具合をみて、さすがにそろそろ帰ろうと席をたつ。
ちょうどティーカップの中身も、皿の上も空になった。何より昨夜は熟睡できていないために、すこし眠たくもあった。
レジに行くと杏奈が会計をしてくれる。
彼女ののんびりとした言葉と、穏やかな声音に、思わず松田の口から欠伸がこぼれた。
「ほどほどにして、ちゃあんと休んでくださいねぇ。」
へらりと微笑を携えて、レシートとポイントカードが返却される。
仕事が立て込んでいて休息がとれていないとでも思っているのか、自分の身を案じるような発言をする杏奈。
ヤった後ほとんど寝てねぇだけ、なんて言えるかよ。
別に仕事で疲れているわけではないのだが、その理由をわざわざ説明する気にもなれず、松田はそうだなと一言返した。
「お前こそ、バイトも趣味の時間もほどほどにしろよ。」
自分の目元を指さす松田に、杏奈も自身の目元に触れる。
触ったところで何もないが、そこにうっすらとクマができていることは、彼女自身も気づいていた。
夏休みで自由に使える時間が増えているため、ついつい夜更かししてしまっていた。
メイクで隠したつもりだったのだが、松田の目は誤魔化せなかったようだ。