第79章 覚悟は
「大丈夫か?」
彼は私の手を取り引き上げると、ベッドの上へと座らせた。
まだ湿り気のある頭髪と、そこから僅かに香るシャンプーの匂いを感じれば、彼がお風呂に入っていたことは分かる。
分からないのは、何故こんなところにいるか・・・だ。
「すまない、遅くなってしまったから近くのホテルに入ったんだ」
まだ脱力しきっている私に、いつものように考えを読み取っては、そう答えられて。
でも、彼とここに居るということは。
「あの人に、勝ったの・・・?」
あの後、勝負の行方を見届けることはできなかった。
けれど、つまりはそういうことだろう。
そう思ったのだけれど。
「いや、勝ってはいない」
「えっ・・・」
では、どうして彼とここに居るのか。
「勝ってはいないが、負けてもいない」
・・・ということは。
「引き分け・・・って、こと?」
「そういう事だな」
それで、良かったのだろうか。
・・・いや、そんな事を私が気にしても仕方がないけれど。
そもそも、チェスに引き分けというものが存在することも知らなかった。
それ以前に、自分が賭けの対象にされているのに・・・呑気に眠ってしまって。
・・・情けなさを感じる以前に、もう何も考えることができない。
「ひなた」
「・・・?」
ただ一点を見つめ呆然としていると、ふいに名前を呼ばれて。
意識を戻されたように一瞬体を震わせると、その顔を見上げた。
「おいで」
目の前に座っているのに。
そう言われる程、距離は無いのに。
両腕を広げる彼に、何かが疼いた。
「・・・・・・っ」
何故か、思わず彼から視線を逸らしてしまった。
優しい彼の瞳が、綺麗で、吸い込まれそうで・・・溺れてしまいそうだったから。
ゆっくり、差し伸べられ腕を伝うように手を添わせると、体を近付けて。
彼の座る上へと、腰を下ろした。