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「稲つけば」「おのずから」

第1章 思ひ出話


あ、そうそう月ね。あれはね、いよいよ結婚するからお仕えを辞めて実家に帰る、前の晩だったわ。いつもと同じように仕事をした後で荷造りや片付けをしていたら、夜中になっちゃってね。寝ようと思ったんだけど、なんだか寝付けなくて。
最後の夜だしと思って、お庭を散歩する事にしたの。
広いお庭にはいろんな花が咲いていて、好きな場所だったわ。
その日の月は本当に大きくて綺麗で、月明かりだけでも、庭を歩くのは充分だった。
ゆっくり花を見たり、月を見上げたりしていたら、ふいに声をかけられたの。
「さん、こんな時間にどうしました?夜更かしはいけませんよ」って。
東城様だった。
どこからかお帰りになったところだったらしくて、きっちりと羽織まで着ていらしたから、自分の寝間着代わりの浴衣が恥ずかしくなって、まともに顔を見られなかったわ。
でも東城様はいつもみたいに微笑んで、「まぁでもせっかくですし、一緒に月を眺めませんか」って仰って。
ハンドクリームを塗ってくれた時みたいに、縁側に呼ばれて、そのまま2人で月を見たの。
庭は、時々聞こえる虫の声以外はしーんとしていて、自分の胸がドキドキしているのが東城様に聞こえるんじゃないかって、更にドキドキしたわ。
たぶん私、顔なんて真っ赤で、もじもじしていたんでしょうね。
東城様がふいに顔を近づけたかと思ったら、私の額に口付けをされたね。
びっくりして顔を上げたら、「すみません。さんがあまりにも可愛らしかったので」
そう言ったかと思ったら、庭に出て行かれて、咲いていたコスモスを1輪摘んで、私に差し出した。
赤茶っぽい、変わった色のコスモスだった。
「さん、匂いを嗅いでみて下さい」って仰るからそのとおりにしたら、甘いチョコレートみたいな香りがしたわ。
名前もそのまま、チョコレートコスモスって言うんですって。
「先程の、お詫びです」
そつ言うから、やっとの思いで「嫌じゃなかったです」って、それだけ言ったら、頭をぽんぽんって撫でて下さった。
そして「結婚おめでとうございます。お幸せに」って。微笑まれた顔が、しばらく忘れられなかった。

それだけよ。たったそれだけ。
それでもこんな月夜には、思い出す事もあるの。
さてさて、思い出話に付き合わせて悪かったわね。もう寝ましょう。
おやすみなさい。
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