第8章 【家康・後編】※R18
翌朝、多くの人に見送られて、家康一行は秋津国を発った。
竜昌は最後まで笑顔を絶やさずに手を振り続けていたが、やがて見送りの人々の姿が見えなくなると、その顔はとたんに物思いに沈んだ。
家康の家来衆たちも、浮かない顔の竜昌を心配したが、故郷を離れる寂しさのせいであろうと、あえて声は掛けず、一行は静々と山道を進んだ。
その時、山林の奥のほうから、来た時と同じように口笛の音が響いてきた。それに気づいた竜昌も顔を上げ、口笛で応える。
『ごめん』
『ううん』
『赦してくれ』
『もうわすれた』
『元気で』
『さようなら』
『さようなら…』
口笛の主との幾度かのやりとりのあと、やがて口笛は止んだ。
竜昌のすぐ脇を歩いてた家来の一人が聞いた。
「あの口笛は、何と言っておられたのですか?」
「『道中気を付けて』と…」
竜昌たちの少し前を馬に乗って進んでいた家康は、ちらりと後ろを振り返った。
泣き笑いのような、竜昌の表情。嘘をついているのは明白だった。
直感で、口笛の主は帯刀だなと家康は悟った。
何も言わず、再び前に向き直ると、家康はギュっと手綱を握りなおした。
─── ◇ ─── ◇ ───
六日の旅の後、一行は家康の本拠地である駿河国・駿府城にたどりついた。
駿府城は平城だが、天守閣と三重の堀を有し、安土に負けず劣らず立派な造りだった。
堀をまたぎ、東御門へとつづく橋の上に、家康の家臣たちが大勢出迎えに出ていた。
皆の最前列に立つ、立派な身なりの四人が、おそらく徳川四天王と呼ばれる武将たちであろうと竜昌は予想した。
「殿!おかえりなさいませ!」
家康はわずかに唇に笑みを浮かべ、家臣たちの歓迎に応えると、馬を降りた。
「世話をかけたね。皆変わりない?」
「万事とどこおりなく」
白髪の初老の男が、恭しく頭を下げた。家康の懐刀・酒井忠次であろうか。
するとその横の、ひときわ背の高い大男が…
その時、出迎えの群衆の後方から甲高い女の声が響いてきた。
「殿!」
群衆がザッとふたつに割れ、その間から、目にも鮮やかな山吹色の打掛を着た、美しい姫君が姿を現した。
年の頃は竜昌とそれほど変わらぬであろうか。抜けるような白い肌に、色素の薄い茶色げな髪を垂らし、鮮やかな紅がその小さな唇によく映えていた。