第16章 【信玄編・中編】
『とはいえ、俺だって【元城主】…か。下手したら、俺たちの出会いは戦場だったかもしれないな』
まっすぐ見つめる竜昌の頬を、信玄は手のひらで包むようにそっと撫でた。
竜昌の肩がぴくりと震える。
「安土で君に会えて、良かったよ」
信玄の言葉に、別れを悟った竜昌の瞳が、悲しげに揺らいだ。
─── ◇ ─── ◇ ───
「わたし今、すごいものを見ている気がする…」
「僕も同感だ、ご同輩」
「!?」
少し離れた屋根の上から、信玄たちの様子をうかがっていた三ツ者の雫(先日、町で竜昌に助けられた女)は、突然の声に、慌てて振り返った。
「は!?」
「どうもどうも」
見ると、怪しげな道具を目につけた無表情の男が、雫と同じように屋根に伏せて、信玄たちのほうを眺めていた。
「アンタ…確か春日山で一度見たわね…謙信様から斬られまくっていた…」
「覚えていてくれてありがたい。僕は軒猿の佐助。今回は信玄さまのお供で春日山から来たんだ。以後よろしく」
「よくもまあ首がつながったまま安土にこれたもんだね」
「君こそ、よく僕を覚えていたね」
「いい男は一度見たら忘れないよ」
雫は、くノ一特有の色気たっぷりの流し目で佐助を見たが、佐助はそれにまったく反応すらしなかった。
「さすがは信玄様の忍び。それより君、あれをどう見る?」
「え~?」
そっけない佐助の反応にむくれながらも、雫は信玄たちのほうに視線を戻した。
ちょうど信玄が竜昌の顎を掴み、上を向かせたところだった。
「ほら、いけ、そこだ!ブチュ~っと!」
しかし信玄と竜昌の二人は、無言で見つめ合ったまま動かなかった。
「御館様が女に手を出さないところなんて…初めて見たわ」
「初めて」
「御館様が手を出さないのは、子供と部下だけなのに…」
「だけ」(上限は無いのか…?)
「いいなあ~私も御館様にあんなふうにされたい~~~ん」
屋根の上で、雫が身をよじらせた。
『なるほど…あれが噂の顎クイというやつか…。あの間合い、あの角度、今後の参考にしよう』