第11章 【秀吉・前編】
『夜分恐れ入ります、竜昌にございます』
ここは安土城の秀吉の部屋。廊下に面した障子のむこうから、竜昌の声がした。
秀吉が読んでいた書簡から目をあげ、立ち上がって障子を開けると、月明りに照らされた庭に、竜昌がひざまずいていた。
「昼間、秀吉様が私を探しておられたと聞き及びました。火急の御用でしょうか」
「いや…大した用事じゃない。しかしどうした、そんなところで。まあ上がれよ」
「いえ、今は…」
よく見ると、竜昌は遠征から帰ってきたばかりのようで、胴丸や籠手はつけたまま、しかも全身泥だらけだった。
「どうしたんだその恰好…」
動揺した秀吉が聞くと、竜昌は恥ずかしそうに笑った。
「河内の国堺で諍いが起きたと聞き、鎮圧にいっておりました」
「だ、大丈夫だったのか?」
「それが…原因は『きのこ』でした」
「きのこ!?」
竜昌が言うには、国境をはさんだ村の村人たちが、山で採れるきのこの縄張りをめぐって一触即発の状態であった。重要な収入源でもあるきのこの縄張りは、村人たちにとっては死活問題だったのだ。
しかし竜昌がよくよく話を聞いてみると、一人の幼い少年が、病に倒れた母親のために、万病に効くという伝説の『霊芝』を求めて山をさまよい、たまたま隣村の林で珍しいきのこを見つけ、間違ってそのきのこを取ってきてしまったのがきっかけだったという。
竜昌が双方にきちんと説明すると、二つの村はたちどころに仲直りし、竜昌の遠征はうれしい空振りに終わったのであった。
そして今後同じ事が起きないように、双方の村長立ち合いのもと、村の境界線となる山の木には目印をつけ、お互いに立ち入ることのないように約束させ、万が一の時にもすぐに番所に報告し、決して私情で争ってはならぬと言い聞かせてきたという。
「なるほど、いい判断だな。でもそれでなんで泥だらけに?」
「それが、仲直りの祝いにきのこ鍋をふるまうと言うので、きのこだけでは寂しかろうと、猪を…」
村人たちに宴に誘われた竜昌は、山に入るなりあっというまに弓で一頭の猪を仕留めて戻り、竜昌と村人たちは取れたてのきのこと猪肉の鍋に舌鼓を打った。