第1章 目には見えずとも
初めは匂いだった
どこもかしこも見通すことの出来ないまるで先のないような深い暗闇の中
彼の形を感じた
次に名前だった
誰かが彼を呼んでいる、話している、
彼の名前を覚えた
ある時怯えながらも思い切って声をかけてみた
驚くことに彼は私に手を伸ばしそのまま・・・
頭を撫でた
その手はとても大きく無骨でまた不器用な撫で方だが
久々の温もりと撫でられる気持ちよさにすぐに欠伸が浮かんできた
それからは稀に行動を共にするようになった
相変わらずここは暗くてよく見えないけれど
彼の傍は居心地が良かった
彼は寡黙でいきなり大声を出したりはしなかった
私が甘えて体を寄せると優しく撫でてくれた
彼の匂いは私の鼻をくすぐってまた私は体を寄せるのだ
たまに抱き上げて膝の上に乗せてくれることもあった
最初は未知の感覚で驚いたけど
すぐにいい枕だと知った
私が気になって顔を寄せると彼も同じように顔を寄せて見つめ合う
彼のことがお気に入りの私は彼にいつも愛を告げた
彼から誰かの匂いや鉄の匂いを感じるといても立ってもいられなくなる時はあれど彼もいつも一人のようだった
真っ暗な世界に閉じ込められた私でも彼のことだけは何故か知覚でき
彼と私だけが世界に在るような平穏な時を過ごしていた
ある日彼が焦っているのを感じた
私はどこか遠くへ行ってしまうらしいと朧気に理解した
・・・私ともさよなららしい
別れの挨拶だろう、
最後に好きなだけ撫でられてゆっくりと彼の匂いが寂しげに切なげに離れていった
「・・・にゃあ」
私は大きな影に短く返事をした
fin