第16章 アダムとイヴの林檎
「……最近、仕事が減った気がします」
八乙女事務所の社長室で、姉鷺がぼやいた。
「いえ、実質的には減っていないのですが。単発の仕事が増えて、レギュラーの仕事が減っていってます…。編成期だからでしょうか。特に、今月に入ってから、CM関係の仕事が減っています。天の出演したドラマがあんなにいい視聴率を出しているのに……CMのオファーが増えると踏んでいたんですけど……」
心配そうに言う姉鷺に、八乙女社長がため息を吐きながら続けた。
「ラスディメの延長公演や諸々で、仕事を断っていた時期が続いたからな。しっかり売り込んで来い」
「わかりました」
姉鷺が返事をしたとき、ノックの音が部屋に響いた。
姉鷺がドアを開けば、そこに立っていたのは。
「やあ、八乙女さん。先日はお祝いの品をどうも」
先日、ツクモプロダクションの社長に就任した月雲了だった。
「……これは月雲社長。就任おめでとうございます。先代…先々代には大変お世話になりました」
「僕が世話したわけじゃないけど、恩に着てくれていいよ。さっそくだけど、商談だ。TRIGGERをいくらで売る?」
「………。……はは、これはご冗談を。TRIGGERは当事務所の主力タレントです。ご相談には応じられません」
八乙女の答えに、了は口の端を僅かにあげながら続ける。
「八乙女事務所はツクモのバックアップを受けて独立した。断れば、不義理と呼ばれるのでは?」
「応じれば、ツクモの圧力に屈服させられたと言われるでしょう。どちらも良い噂は立ちませんよ」
「良い噂じゃなくていいんだよ。TRIGGERをぶんどって、ビビらせたいんだ。正直に言うとね。これから好き勝手するには恐怖が必要なんだ。ぞっとするような終わり方をしてもらう。え!?あの八乙女プロが!?みたいな」
「……月雲さん」
「八乙女プロとツクモプロなら、みんなツクモプロの味方につくよ。火の粉を浴びないように、そっと見守るだろう。権力とはそういうものだ。みんな、最初は義憤にかけられる。なんてやつだ!許せるものか!だが、次にオセロがひっくり返っていくと、勇気は消えて、権力になびこうとする。パチン、パチン。黒黒黒黒。TRIGGERを僕にちょうだい。大丈夫、君の息子も大事にかわいがってあげるよ」