第4章 恋の残り香
決意が変わらぬうちに、そのまま政宗殿に背を向けて、城を降りた武田軍を追いかけた。
──見えてくる幸村様の背中。
その紅い背中に、私は自分の中の忠誠を取り戻すように触れていた。
「お待たせしました。幸村様」
「おお紫乃! 戻ったのだな。・・・政宗殿とは、話はもう良いのでござるか・・・?」
─ドクン─
─ドクン─
「・・・はい。もう大丈夫です。幸村様。甲斐へ帰りましょう」
─ドクン─
─ドクン─
なんだこれはっ・・・。
鼓動が止まらない。
あいつのせいで、胸が張り裂けそうだ。
唇に残った、あの男の温もり。
かすかな血。
さっきまで命を賭けて戦っていた男のものとは思えない、甘い味。
すべてが残ったまま。
「紫乃・・・某、安心いたした」
「・・・何がですか?幸村様」
「約束したであろう。魔王を倒したのちは、何も変わらず、何も違えずに、紫乃は某のもとへ帰ると。・・・情けないことでござるが、それが果たされぬのではと、この幸村・・・一瞬不安になり申した」
何も変わらず。
何も違えずに。
・・・幸村様。
申し訳ありません。
あなたには決して言えませんが。
──私はその約束を、果たすことはできませんでした。
─『この俺を忘れられるもんなら、忘れてみな。』─
こうして甲斐へと戻っても、あの竜が、心の中から消えそうにありません。
私は唇に残る奴の痕跡を、今一度指でなぞっていた。
───でも私は決めたのだ。
幸村様についていく。
だから誰か、この熱を冷ましてくれ。
唇に留まっているこの恋の残り香を、早く消してくれ。
「参りましょう幸村様! お館様が待っております!」
「無論にござる!」
───これが私と、伊達政宗の、出会いと別れのすべてだ。
このときの私は考えもしなかった。
もう会うことはないだろうと思っていた伊達政宗と、再び出会うことになるなんて。
そしてこの身を焦がすような、激しく燃えあがる「恋」をすることになるなどと。
そんなこと、夢にも思っていなかったのだ。
─第一部 完 ─
(「月夜の盃2」へ続く)
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