第38章 イニシャル-ウソツキ-
「ただいま戻りました」
「あ、お帰り!お疲れ様」
私を出迎えたのは猿子さんだけだった。
「…もしかして、ずっとこちらで朱鷺宮さんを待っていらっしゃるんですか?」
「そんなところ。もし時間があるなら少し話していかない?独りで待っているのも退屈で」
「……はい」
猿子さんの声音はいつもの穏やかさだったけど、何処か探るような気配があった。
「この前、アパートの台所に油を零したんだって?」
「え……!」
「偶然聞いた。栞が夜中にお酒を取りに行ったら、えらく床が油臭かったらしくて。そこにあの雉子谷君が通り掛かって、君が珍しく粗相をしたらしい、と。……君なの?」
「…いいえ」
「じゃあ、誰が零したか知ってる?」
「それは本当に分からないんです。ただ帰って来たら零れていて…きっと、誰かが」
「でも誰も油の瓶なんて触ってないって」
「…騙したんですか」
「君に鎌をかけたわけじゃない。栞がやけに気にしていたから、先に戻って来た鴻上君達、管理人さん、みんなに聞いた。暇だったし。隠君にも聞いた」
「………………」
「でも、誰も自分じゃないって。おかしいよね」
お面で猿子さんの表情は分からない。
「(…こんな言い方…猿子さん達はやっぱり…)」
「でもまぁ……───隠すのはきっと罪悪感があるからだと思いたいよね」
「!?」
「運命って割とよく出来ていてさ、意外に悪いことって隠し通せないようになってる気がするんだ」
「…そうかも知れませんね」
「はは、疲れているところを引き留めてごめんね。栞達はまだ帰ってきそうもないし、部屋で休んでて」
✤ ✤ ✤
部屋に戻ってからずっと、私はベッドの上で膝を抱えていた。猿子さんが何を言おうとしたのか。油を零したのは誰なのか。
そしてあの時にホールの床に落ちていた、小さな箱の持ち主は誰なのか。
「(知らないふりをするのも…辛いな…)」
トントンッ
「いるか?」
「(隼人!?)」
私はドアを開ける。
「お帰りなさい!どうだった!?」
「俺とちょっと図書館まで散歩しよう」
「……え?」
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