第14章 幾つもの囀り-フイウチ-
「いや、昨日の」
「………え?」
はっと見上げれば、夜空には半分よりほんの少し膨らんだ月が浮かんでいる。
「(……まさか。)」
彼は昨日、あの映画を見ていた時どんな表情をしていたのだろう。
「(ううん、違う。それよりももっと前。確か看板を見た時…)」
あの一瞬───ひどく嬉しげだったのだ。
「…少なくとも、行けたら楽しいだろうなとは思ってる。月に行けるなんて素敵だもの」
「あの映画、そんなに気に入った?」
「もちろん!」
「物好き」
「な!」
「短いし、もう古いし。もう何十年も前の作品なんだぜ、あれ」
「…詳しいんだね」
「…あれは、俺が一番最初に観た映画だからさ」
「そうなの!」
「何となく思い入れがあるんだよ。…それだけ。まさか月に行きたいなんて言い出すとは思ってなかったよ。流石は箱入り」
「ま、また…そんな…」
何か言い返そうとしたものの、彼の声がいつもより柔らかい気がして、また心臓が早鐘を打ち出す。
「まぁ、あんただけだとすぐ捕まりそうだから、行く時は付き合ってやるよ」
「………え」
「………あ」
「(聞き間違いじゃなければ、今…。)」
「…別に、深い意味はないよ。あんたが危なっかしいから。…それだけ。じゃあ、おやすみ」
彼は私の顔も見ずにそう言い捨て、中に走って行ってしまった。
「……今のって」
自分の心臓が、まるで耳の中で鳴っているのではと思えるくらい、激しく大きく聞こえる。
「…今のって…」
動揺する私が出来ることと言えば、月を見上げることくらいだった。
「…あんな不意打ち、狡い」
赤くなる頬を膨らませて、そう言った。
「(私は幸せになっちゃダメなのに。彼と約束をしたのに。滉の言葉一つで嬉しい気持ちが溢れてしまう───。」
『まぁ、あんただけだとすぐ捕まりそうだから、行く時は付き合ってやるよ』
「(一緒に…行ってくれるんだ。私が、危なっかしいから…。)」
ニヤける口許を抑えられず、両手で紅く色づいた頬を軽く上に伸ばす。
「(滉と…月に行けるのが楽しみ。)」
いつかその日が来ることを待ち望んだ。
next…