第11章 相合い傘の温度-アメノオト-
「見間違いであって欲しいような、欲しくないような…僕も何とも言えない気持ちです。栞さんはその書店の方を気遣って、暫くお店を休ませた方がいい、と。温泉でも行ってもらおう、と」
「…そうだね。温泉、いいと思う」
「いいですよね、温泉」
「とてもリラックス出来るし」
「温泉、お好きなんですか?」
「うん。露天風呂に浸かりながら景色を眺めるのが最高なの」
「そうなんですね」
翡翠は温厚な笑みを浮かべる。
「現在の情報はこれだけではあるんですが、一応本絡みですし、早くお伝えしておこうと」
「分かった、有り難う」
✤ ✤ ✤
お風呂を使った後、涼みに出るともう雨は上がっていた。ペリがすすめてくれた石鹸は、ほのかに柑橘系の香りがする。
夜空には、三日月より僅かに膨らんだ黄色い月が浮かんでいる。
裏庭には私以外の気配はなく、ただ誰かが何かを燃やしたのか、焼却炉から白い煙が立ち上っている。
『昨夜また…トウキョウ駅の近くのビルで飛び降りがありまして』
あの瞬間、現実に引き戻された気がした。
私の躰に残っていた滉の体温が、すっと消え去った。
「(…あんな些細なことで、舞い上がっている場合じゃない。もうこれ以上の犠牲が出ないように、一日でも早く四木沼喬を…)」
そう思いつつも、やはり不安は重くのし掛かる。彼の───あの四木沼喬が纏う底知れぬ冷たい闇に負けずにいられるだろうか。
彼の温度のない眼差しを思い出すだけで、身震いがするというのに。
『君は『比翼の鳥』という言葉を聞いたことがあるかな』
「………………」
不意に、猿子さんの言葉が浮かんだ。
アパートに来たばかりの時に朱鷺宮さんが、そしてあの時に猿子さんが気遣ってくれた意味が、今ならほんの少し分かる。
不安で、恐ろしくて仕方のない時に───横にいてくれる相手がいたらどれだけ励まされるだろう。
「(…駄目。そんなことは許されない。)」
そっと、茜色のピアスに触れる。
「(約束を交わした。この茜色のピアスに誓って、"幸せにならない"と。だから私に『比翼の鳥』なんて…)」
ぎゅっと辛そうに顔をしかめて、約束を忘れないように、もう一度心に刻み込んだ…。
next…