第5章 kiss me【降谷零】
「れ、いさん」
「ん?」
「しないん……ですか、」
精いっぱいだった。
眠たげだった彼の目がぱちくりと開き、それから面白いものを見つけたと言わんばかりに噴き出す。してほしいのかと、揶揄するような事を言うものだから必死だったこちらとしては不愉快極まりない。
だって、仕事に見送る時はいつもキスしてくれた。だって、玄関のドアノブに手をかけた零さんの視線がいつもより後を引くように残ってた。
恥ずかしさからか、憤りからか……赤くなった頬を体と一緒に背けると、火照ったそれよりも幾分熱い零さんの指先が滑った。
「俺の風邪がうつったら大変だろ」
「うるさいもういい」
「……」
いつもより掠れた声に呼ばれて肩がびくりと跳ねる。そっぽを向いた顔を出来るだけ遅れて戻したのはほんの少しの抵抗で、彼はそれすらも見透かしたように笑ってた。
「今はこれで我慢して」
熱い吐息と一緒に、カサついた唇が頬に掠めるようなキスをした。馬鹿みたいに開きっぱなしだった目が、ゆっくり開かれるいつもより潤んだ零さんの蒼い瞳を捉える。たったそれだけで頭の中の血が沸騰しそうで、クラクラして。「いってらっしゃい」の声は酷く上擦ってるし零さんの「いってくる」も何処か遠くで聞こえるのだから、きっと、もしかしたら私もすでに風邪をひいてしまったのかもしれない。
fin.