第9章 青い霧
彼は一度、私の顔から手を離した。すると次の瞬間、手袋を外した彼の右手の指が、私の口をこじ開けて入ってきた。
「は……っ!」
恐らく二本の指を入れられている。
口内を掻き回され、おかしな感覚になった。
目を開けると、口元に薄い笑みを浮かべたウィリアムが写った。
「キスのとき、舌でこういうことをされませんでしたか?」
彼の声が先程よりも弾んでいるように聞こえる。
私は必死に首を横に振った。
「ということは、やはりキスはしたのですね」
ウィリアムは口内から指を抜き、唾液のついたままの手で、再び私の顔を掴んだ。
私の目には涙が浮かんでいた。
「この様子を見たところ、ファーストキスだったのでしょう。いかがでしたか、初めてを死神に捧げる気持ちは」
私は息を切らし、目を細めて涙をこぼした。
「まったく。無知というのは、本当に罪深い」
ウィリアムは楽しげな表情から一転させ、いつもより冷徹な顔を私に近付けた。
「貴方の今の表情は、男を誘惑する表情です」
目を瞑り、また涙が流れてきた。
「それに加えて、その涙」
彼は私の目尻の涙を指で拭った。
「貴方は幾度となく、その涙でロナルド・ノックスの気持ちを揺らしてきたのでしょう。そういうとき、彼は貴方に慈しみの心で接したでしょうが、私は違います」
今度は私の胸ぐらを掴み、起き上がらせた。
ベッドの上に座らせた状態で、壁に寄りかかるように押し付けてくる。
ウィリアムもベッドに膝立ちで乗ったまま、私に被さるように壁に自身の腕を付けた。
「私の場合こういう涙を見ると、更に泣かせたくなってしまうのですよ」
胸ぐらを掴んでいた方の手で、私の顎を持ち上げた。
「さて、何か話す気にはなりましたか」
私は恐怖で体に力が入らなくなっていた。
放心状態になり、荒くなっている呼吸を続けるだけだった。
それを悟ったウィリアムは、大きくため息を吐いた。
「クロエさんにとっては、少々手荒過ぎたようですね」
私の両肩を持ち、ゆっくりとベッドに寝かせた。
手袋を付け直したウィリアムは、先程の激しさが嘘のように、私の額へ優しく手を乗せた。
「続きは明日です。今日はもう、私はこの部屋へは参りませんので、ご安心下さい」
それだけを言うと、静かに部屋から出て行った。