第9章 Heal
轟くんの名前を呼ぶのが嫌なわけじゃない。呼び方を変えるのが何となく気恥ずかしいだけだ。
ケンはヒーロー名だしなぁ。だけどきっと本名なんだろな。そう考えてからふと思いつく。
──そうだ。轟くんの名前もヒーロー名だと思えば呼びやすいかも。
「ショート、しょーと、しょうと……」
呪文のように唱えて練習すると、轟くんは「お」と一言放って満足げに微笑んだ。
「焦凍?」
「なんだ」
「や、呼んだだけ」
照れているのを隠したくて俯きがちに笑う。轟くんが何も言わず私の頬に触れたから驚いて身じろぎした。
その手は優しく頬を伝い、やがて耳元の髪を掬う。擽ったくてどこか心地よいその感覚に鼓動が早くなるのを感じた。
轟くんは掬った髪をさらりと耳の後ろへ流した。困惑しながら視線を上げると、彼の瞳は真っ直ぐと私を捉えていた。
「前々から思ってたが……可愛いな、綿世は」
……?
──???
脳内に幾つもの疑問符が浮かんだ。とてもシンプルな彼の言葉。その意味を理解するのにやけに時間がかかった。
可愛い、……可愛い?私が?
轟くんの口からそんな単語が出るなんて思いもしないし、そもそもなぜ、今、突然?
どこをどう見てその発言に至ったのか。顔か、髪か、声、とか……?
結局、言葉の意図を理解できず考えるのをやめた。仄かに熱を感じる頬にも気付かないふりをした。
「轟くんも、頭の形とか、可愛いと思うよ」
「………」
「もう今日の名前呼びコーナーはおしまいです」
じいっと圧をかけてくる轟くんに苦笑した。彼の次の言葉が出るより先に私は立ち上がった。
また何か言われたら押し負けてしまう気がしたからだ。つくづく、私は轟くんに弱い。
それは雄英に入学し、再会したあの日からずっとだ。
「さ、そろそろ戻ろ!」
明るく振る舞って、座ったままの彼に手を差し出すと、溜息と共にそれは繋がれた。
立ち上がった途端、ごく自然に病棟へ向かい歩を進める轟くん。
怪我を気遣って手を差し伸べただけであって、手を繋いで戻ろうって意味じゃなかったのだけど。
時折看護師さんや患者さんの視線を感じる。轟くんはそんなのお構い無しで、別れる寸前まで手を離すことは無かった。